2014年8月17日 登録
200年前、このまちは峠の宿場町だった。善光寺詣での旅人、参勤交代の大名が、碓氷峠を登りきった疲れを癒し、また、これから向かう江戸の暮らしに思いを馳せた。
活火山浅間山は、時に静かに時に激しく噴煙をあげ、日本中に大飢饉をもたらす山と恐れられた。火山の麓で暮したいといったい誰が思っただろう。
明治に移り、鎖国が解けてから一変する。このまちに吹く風の魅力を最初に発見したのは、カナダ生まれの英国聖公会宣教師だった。それは100年以上も前のこと。
やがて激しく噴煙をあげる機関車が平野の果ての山を穿って走り抜け、さらに電化。すると多くの人々が夏のさわやかな風を誉めたたえ、また、多くの芸術家が創作の場にこのまちを選んだ。
こうしてまた100年が過ぎ、首都との距離は1時間。夏と冬、2回のオリンピックで世界中の人々を迎えた。いったい何が変わり、何が変わらないのか。ひとつだけ言えることは、このまちを抱くように裾野を広げる浅間山の姿と、そこを吹きぬける風は変わらない。
これからの100年も私たちは火山の麓に生まれた、宝石のようなまちの自然と暮らしを愛していきたい。