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Welcom to Town of Karuizawa

歴史民俗資料館だより【令和4(2022)年度】 

2023年3月1日 更新

2023年3月号 ー弥生ー

 

2月も何度か雪が降りましたが、サラサラの雪が積もった次の日は、天気に恵まれてすぐ溶けてくれ、通勤・通学等には有難いお天気でした。3月に入り、だんだん暖かくなってくると、サラサラだった雪は湿っぽい雪に変わっていきます。陽射しに春を感じるようになるとともに、風が吹けば飛んでいくような雪を楽しめる季節はおしまいです。

あともう少ししたら、軽井沢でもフキノトウや福寿草が顔を出します。歴史民俗資料館も、春の訪れとともに4月1日(土)から開館いたします。離山公園の春を見つけに、ぜひご来館ください!

 

【東部小学校、中部小学校 社会科見学】

東部小見学中部小見学

2月は、東部小学校と中部小学校の3年生が、「むかしの道具」について学ぶため、社会科見学に来てくれました。洗濯機ができる前は、冬でも手で洗濯をしていたんだよ、とお話をすると、「え~~、寒そう~~!!!」と、表情たっぷりに感想をくれるなど、ひいおじいちゃん・おばあちゃんや、そのまた上の世代の方々のくらしを想像しながら、見てくれていました。

説明後には、順番に背負子を背負ってみたり、蓄音機の音をまた聞きたい!とリクエストがあったり、思い思いに元気に見学していってくれました。実際に見て、触れて、聞いて、(ものによっては匂いも…!?)教科書ではできない経験をしていってもらえたら良いなと思います。見学に来てくれた東部小・中部小のみなさん、先生方、どうもありがとうございました!

 

【展示品のご案内】

では、令和4年度最後の展示品の紹介です。

先月は軽井沢の伝統工芸品、「軽井沢彫」をご紹介しました。今月は、2階の展示室の中でご紹介がまだだった民具の展示室より、こちらをご紹介いたします!

 

下駄スケート下駄スケート(裏面)

 

…はい、こちらは今年の1月末~2月のはじめにニュースにもなっていた、「下駄スケート」です(※2枚目の写真は裏側です)!どんなニュースかというと、長野県下諏訪町の博物館で所蔵している「諏訪の下駄スケートコレクション」が、「国の登録有形民俗文化財」に登録されることになった、というものです。

明治38年に中央線が岡谷まで開通し、諏訪湖でスケートを楽しむ外国人や愛好家の姿がよく見られるようになったそうです。その頃、「スケート靴」は高価でなかなか買えなかったため、地元の学生が下諏訪町の飾り職人に相談し、下駄の底にブレードを付けてもらったのが、「下駄スケート」の誕生だったとのこと。

靴のスケートの10分の1以下で手に入る下駄スケートは、爆発的な人気となって広まっていき、軽井沢町でも諏訪から伝わり、楽しまれていたようです。今ではすっかり身近なスポーツであるスケートを、誰でも楽しめるようにと生まれた「下駄スケート」は、同じ長野県の下諏訪が発祥の地でした。

 

軽井沢でのスケートの歴史は、明治25年にカナダ人宣教師が氷池で滑走した記録があり、明治26年の信越線の開通により、おそらく諏訪地域と同様に多くの愛好家がスケートを楽しんでいたのではないかと思われます。

明治40年には、新軽井沢青年団有志によって佐久地方では初めてとされるスケート場が築造され、大正時代に入ると、町内の小学校では授業でのスケートが定着し、下駄スケートで氷った田んぼの上を滑っていたそうです。その頃には、「信州のスケートは諏訪湖と軽井沢」と並び称されていたとか。

 

下駄スケート(全体)

↑当館で所蔵している下駄スケートは昭和期のものと思われますが、それでもかなりたくさんの種類のブレードがあることがわかります。

今でもスケートやアイスホッケー、カーリング等氷上のスポーツ競技がとても盛んな軽井沢。その始まりの頃からの歴史を物語るこれらの資料を、ぜひ実際に見に来てください!

(開館は、4月1日(土)からです!!)

 

2023年2月号 ー如月ー

 

1月末は全国的な大寒波がきました。軽井沢は真冬日となりましたが、雪は幸い多くな、高原らしい冬の冷え込みを久しぶりに感じた1週間でした。条件が合えば、町内でもダイアモンドダストが見られた場所もあったのではないかと思いますし、毎朝車や窓ガラスで雪の結晶を観察できるのも楽しいです!(水の分子構造が成せる芸術!!!)

大寒も過ぎ、4日には立春を迎えました。まだ厳しい寒さは続きますが、麓の近くまで霧氷で真っ白になった離山を間近で楽しめるのも、この時期だからこそ。寒ければ寒いほど白が濃く(かといって寒いだけでは白くならず)、朝日に照らされるとキラキラと輝いて、毎日変わるその姿を見るのが楽しみという方も多いのではないかと思います。春の訪れを待ちつつ、冬の景色も楽しんでいけたら良いですね。

 

【展示品のご案内】

先月は別荘関連の展示室より、アレキサンダー・クロフト・ショー氏を改めてご紹介しました。今月は、続く2階の展示室より、こちらをご紹介いたします!

 

軽井沢彫(椅子背もたれ)

 

…はい、一部だけなのでわかりにくいかもしれませんが、こちらは「軽井沢彫家具」(写真は椅子の背もたれ部分)です。軽井沢彫ってどんなもの?と思われた方もいらっしゃると思いますので、その歴史と特徴を簡単にご紹介します。

 

宣教師のショー氏が別荘を建てた明治21年(1888年)軽井沢町にはまだ家具店がありませんでした。そのため、軽井沢に別荘を建てた外国人たちは、洋風の生活に合うテーブル・椅子などを手に入れるた日光や鎌倉から木彫りの家具を取り寄せていました。

同41年(1908年)になると、日光彫の職人2人が、木彫りの家具を造って販売する専門店を、町内に開業します。初期には日光彫の影響を受けて松・竹・梅などのモチーフが彫られていましたが、その後、大正元年(1912年)頃を境にして、”満開の桜の木の模様”がよく彫られるようになり、この模様が軽井沢彫の特徴のひとつになりました。

上でご紹介した写真はまさに、その一例で、異国情緒を求める外国人向けに作られるようになったと考えられています。

 

では、せっかくなので、他の彫刻もいくつかご紹介したいと思います!

軽井沢彫(引き出し)軽井沢彫(机の角)

 

軽井沢彫(透かし彫り)軽井沢彫(脚の付け根)

 

…はい、桜、桜、桜です!!この4枚は鏡台のセットを写したもので、いたるところに桜の彫が施されています。当時の別荘客は夏に使っていた家具ですが、こうして冬に眺めると、少し早い花見気分にひたれます。春の花の季節が待ち遠しいですね!

 

100年以上に渡り、多くの職人の努力によって受け継がれてきた軽井沢彫は、昭和58年(1983年)に長野県の「伝統的工芸品」に指定されました。明治時代から続く町の大切な伝統工芸品は、資料館以外にも、古くからあるホテルや旅館、別荘等でも見ることができます。お出かけの際は、ぜひ身の回りにある軽井沢彫を探して、花見をお楽しみください!

(※桜以外のモチーフも多くありますので、その違いもぜひ探してみてください。)

 

【ポール・ジャクレー氏の絵本のご紹介】

町地域おこし協力隊員の塚越紗衣さんが、自身が所属されているNPOの活動の一環として、昨年秋に当館でも特別展を実施した、フランス人浮世絵師「ポール・ジャクレー」氏についての絵本を作成されました!

たくさんの写真や絵を見ながらジャクレー氏とその作品について学ぶことができる読み物で、子どもだけでなく大人の方も楽しみながら知識を深められる作品だと思います。

 

絵本は、こちらのURLから、無料で読むことができます。
https://tadoku.org/japanese/book/38887/

 

資料館のお話も出てきますので、よろしければぜひご覧ください!

 

2023年1月号 ー睦月ー

 

すっかり松の内も明けておりますが、あけましておめでとうございます。今年のお正月は全国的に寒かったようですが、軽井沢も本当によく冷えました!!!12月にしっかり降った雪も、お正月はほとんど降らなかったので、初詣など出かけられた方も多かったのではないでしょうか。

筆者は元旦に、佐久市の新海三社神社で今年の干支に関連する「波ウサギ」を見つけて嬉しい気持ちになりましたので、軽井沢でも、ひっそり隠れている「ウサギ」を発見できたらまたご報告したいと思います。

歴史民俗資料館は、ひき続き3月末まで冬期休館です。4月1日(土)より開館いたしますので、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

【展示品のご案内】

さて、2023年最初の展示品紹介は、2階の別荘関連の展示室からスタートしたいと思います。

本日ご紹介するのはこちら!

 

ショー氏パネル

 

…みなさんご存じ、アレキサンダー・クロフト・ショー氏についてです。(展示資料ではなく、展示パネルですみません…!)

 

江戸時代まで鎖国をしていた日本ですが、「軽井沢町誌 歴史編(近・現代編)」によると、明治3年(1870年)の追分宿脇本陣油屋の宿帳には、外国人(アメリカ・イギリス・イタリア等)の往来が記録されているそうです。同年にはイギリス公使夫人が浅間山に登頂した記録も残っていて、浅間山もまた外国人の登山愛好家や火山研究者をこの地に誘引したようです。

 

カナダ生まれの英国聖公会宣教師であるショー氏は、帝国大学文科講師のディクソン氏とともに、明治19年(1886年)、避暑のため軽井沢に家族と滞在しました。冷涼な高冷地気候や、澄み切った大気、緑の豊かな草原・森林など、自然に恵まれたこの地を「屋根のない病院」と呼んだことは有名で、保健休養地としての軽井沢の魅力がとてもよく表されています。

 

ショー氏は、翌20年(1887年)にも友人を誘って避暑のため来軽し、遂に21年(1888年)、大塚山(だいづかやま)に旅宿を移築した別荘を作りました(ディクソン氏も同年に別荘を建築)。これが軽井沢での避暑のための別荘のはじまりとされています。その後、最初は少しずつですが別荘が増えていき、44年(1911年)には、外国人の別荘が135戸、日本人の個人所有の別荘(地元の旅館などの所有ではないもの)が約20戸となりました。この頃の軽井沢の活気は、外国人の避暑客によって支えられていたことが伺えます。

 

以上は町誌を参考にまとめたものですが、昨年、軽井沢文化遺産保存会さんのご講演で、イギリス人外交官のアーネスト・サトウ氏も、軽井沢の魅力の発信に大きく貢献されたというお話がありました。サトウ氏は、14年(1881年)に初版を出版した『明治日本旅行案内』を17年(1884年)に改訂した際、軽井沢の気候や交通手段等についても記載しており、軽井沢の魅力が広く外国人の目に触れることとなりました。

 

過去にも、何度か地域の新聞や歴史家の方に取り上げられたようですが、このように、軽井沢の歴史の中には、まだあまり日の当たっていない出来事が眠っているのだと思います。今後も研究が進み、もし古い町誌が再編されるときがきたときに、多くの方の努力による新たな発見も盛り込まれた書籍が世に出されたら、とても素晴らしいことだと思います。

 

2023年もまた、新たな発見にわくわくできる1年となりますように!

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

(※今回の記事はぜひ、昨年12月の道路・鉄道に関する資料館だよりの記事と併せて見ていただくと、明治の軽井沢をより感じられると思います)

 

2022年12月号 ー師走ー

 

早いもので…とついつい書き始めてしまう、師走がきました。

先月は3回浅間山が白くなり、3回目の雪はしばらくの間解けずに残っていました。地元では、「浅間山が3回白くなると麓にも雪が降る」といわれていますので、年内に一度脅かし雪が降るかもしれません。スノータイヤの準備が必要ですね!

 

雪化粧をした浅間山

3回目の雪化粧をした浅間山(R4.11.25.役場近くより撮影)

 

さて、資料館は11月16日(水)から冬期休館となりました。特別展・常設展・イベント等に足を運んでくださったみなさま、そしてブログなどを見て資料館のことを気にかけてくださったみなさま、誠にありがとうございました。冬ごもり中は資料整理や関連施設の管理をしておりますが、引き続き資料館だよりでは展示品のご紹介をしていきたいと思いますので、ご笑覧いただけましたら幸いです。

 

【展示品のご案内】

4月よりご案内してきました1階の常設展示室は、今回分がラストです(中国陶磁器の展示室も1階にありますが、こちらはまたの機会に!)。

縄文(石鏃)→古墳(祭祀遺跡遺物)→室町(五輪塔)→江戸(馬草鞋)ときまして、本日はいよいよ明治に入っていきます。

 

江戸時代には中山道の宿場町として栄えた軽井沢町ですが、1867年の大政奉還とともに参勤交代制度が廃止され、大きな収入源を失います。さらに、明治17年(1884年)には碓氷新道(現在の国道18号)が開通し、明治19年(1886年)にはそこを馬車や人力車が走れるようになりました。これによって軽井沢宿は完全にルートから外れたため、宿場としては急速に衰退していきます。

 

その後ふたたび活気を取り戻していくエピソードは、年明けに2階の常設展示室のご案内としてお話ししたい思いますので、本日ご紹介するのはこちら!

 

ラックレール(展示品)

 

…碓氷アプト式鉄道で使われていた「ラックレール」です!

まず、碓氷峠周辺の鉄道開通のタイミングは、以下のとおり。

 明治18年(1885年):高崎-横川間開通

 明治21年(1888年):長野-上田間、上田-軽井沢間開通(※直江津-軽井沢が繋がる)

ここまでは既存のレールと機関車で開通できましたが、軽井沢と横川の間には、標高956メートルの碓氷峠がありました。この急勾配を走らせるため、先ほどの写真にあるように歯のようなものがついたレール(=ラックレール)をレールの中央に敷き、機関車側にもついている歯車とラックレールの歯を嚙合わせることで、登る力を得ました。26ヶ所のトンネル及び18ヶ所の橋梁の建設と、このアプト式の導入によって、ついに…

 明治26年(1893年):横川-軽井沢間開通!!

これによって、上野~直江津までがつながりました。人や物資の輸送量が格段に増え、沿線の地域を豊かにしていった一方で、この工事に際して、500名にものぼる方が亡くなりました。

 

開通してからも、煙の問題、逆走事故など、命にかかわるような問題に直面しながら運行してきたアプト式鉄道の歴史は、ここではとても書ききることはできません。ぜひ図書館などで信越線の歴史に関する本などお手に取ってみてください。そしてまた、4月に開館しましたら、ぜひ実際のラックレールを見に来ていただけたら幸いです。

 

ラックレール(アップ)

ラックレールの歯を間近で見たようすです。機関車と乗客、積荷を支える頑強なつくりや、歯車を直接受けていたであろう部分など、凄みを感じます。

 

(今年特別展を実施した正宗白鳥氏が初めて軽井沢に来たのは、明治45年(1912年)ですが、ちょうどその年の5月に、信越線は一部蒸気機関から電気機関の運行に切り替わっています。ひょっとして、新しい電気機関車に乗ってきたのかな…などと、想像するのも楽しいです。)

 

長くなりましたが、今年の資料館だよりはここまでにしたいと思います。

今年もたくさんの方にご来館いただき、誠にありがとうございました。

来年3月までは資料館だよりでの展示案内となりますが、引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

軽井沢町歴史民俗資料館

 

2022年11月号 ー霜月ー

 

すっかり葉の色も変わり、資料館のまわりには、毎朝びっくりするくらいたくさんの落ち葉が積もっています!冬支度を進める木々とともに、歴史民俗資料館も、今月16日(水)から冬期休館となります。おかげさまでご好評をいただいております、正宗白鳥展、ポール・ジャクレー展両特別展がご覧いただける今年最後の機会となりますので、ぜひ紅葉と併せてご覧ください。(町内では、白くお化粧した浅間山も見られるかも知れません!)

 

【特別展にちなんだご案内】

■正宗白鳥展

本特別展開催のきっかけとなりました、文学碑の移転がいよいよ年明けに実施される運びとなりました。この碑を設計されたのは、東京国立近代美術館本館や、東京国立博物館等洋館等を手掛けられた谷口吉郎氏ということで、その故郷金沢を10月に訪ねてまいりました。

実は、谷口氏は”碑”と認められる建造物を生涯で70点余りも建てられたとのこと。その中でも、「文学碑」として建てられた第1号(※第2号とする説もあり)が金沢市内にあります。そちらの碑とは…

 

徳田秋聲文学碑

 

…こちら!白鳥の親しい友人の一人であった「徳田秋聲」の文学碑です。

白鳥とは、読売新聞社時代に出会ってからずっと仲が良かった秋聲。「金沢三文豪」のひとりでもある秋聲の碑を、谷口氏は、若き日の秋聲が独りになりたいときに登ったという卯辰山の山頂にほど近い場所に建てました。碑の背後に建つ塀も設計した碑の一部であり、谷口氏が建てる碑の多くは、背後に塀を伴っています。白鳥の碑においても、古くからの石垣を活かして建てました。

同様に「金沢三文豪」の一人である、「室生犀星」の文学碑も、谷口氏の設計のものが金沢市内に建っています。白鳥の碑と、秋聲、犀星の碑。同じ設計者という視点でその立地や、碑とその周囲の環境に込められた想いを、実際に行って感じてみるのも面白いですね。

そして移転した碑にも、新たな設計者によってまた別の想いが込められることと思います。いつか令和の時代が過ぎてもなお愛され続ける碑であるよう、文豪たちのことを語り続ける場所があることの大切さもまた感じました。

今回のこの碑の記事を書くにあたって、金沢市の徳田秋聲記念館の学芸員である薮田さまに大変お世話になりました!ブログでも何度も正宗白鳥展のことを取り上げてくださっており、時空を超えて白鳥と秋聲の絆を感じた半年間でした。秋聲の碑に関する詳しいお話は、ぜひ徳田秋聲記念館で伺ってみてください。(記念館の展示のなかにも、白鳥の名前を見つけることができます!)また、軽井沢にもゆかりのある室生犀星の記念館も、金沢市内にあります。金沢文学巡りも大変おすすめです。

 

■ポール・ジャクレー展

10月に、ラジオやテレビのニュースで大きく取り上げていただき、これまでにも増して多くの方がお越しくださっております。今後毎年秋に、秋季特別展として作品を入れ替えながら展示を継続していく予定となっております。今年度の展示作品は、初めてジャクレーの作品に触れる方にもその魅力が大変良く伝わるような代表作がそろっています。

鮮やかで美しい色彩や、おどろくほど繊細な摺りの表現などが直接見られる、大変貴重な機会にぜひ足をお運びいただけたら幸いです。

 

【展示品のご案内】

先月は室町時代の「五輪塔」をご紹介いたしました。

縄文→古墳→中世ときまして、次にご紹介するのはこちら!

 

中馬(ジオラマ)馬草鞋(アップ)

 

…はい、江戸時代の中馬(ちゅうま)の様子を再現したジオラマです。

くわしくはぜひ展示をご覧いただきたいのですが、簡単に言うと中馬は荷物運びのバイトで、農家の農閑期の貴重な収入源でした。

ここで注目していただきたいのが、馬の足もとです!2枚目の写真がわかりやすいかと思いますが、なんと、草鞋(わらじ)を履いています。これは、「馬草鞋(うまわらじ)」と呼ばれ、まだ蹄鉄(ていてつ)が使われていなかった江戸時代、荷物を運ぶ馬の足もとを守るために、履かせていたそうです。

歌川広重の絵に描かれた馬の足もとも、よく見ると草鞋を履いているものが見つけられます。資料館では馬草鞋の展示もございますので、ぜひ実際の資料をご覧になってみてください。(馬の足もとの話を聞くと、人の足もとの話も気になってきます。最近読んだ一般書にとても詳しく載っていたので、興味のある方はスタッフまでお声がけください!)

 

2022年10月号 ー神無月ー

 

9月の台風が過ぎた頃から急に冷え込み、朝起きると外気温が1桁(!)という日も出てきました。うっすらと感じていた木々の色の変化も、一気に進んできています。資料館のまわりはすっかり栗だらけ。離山のリスたちがよろこんでかじっているのが目に浮ぶようです。今月の歴史民俗資料館は、特別展2つに加えて、日々変化していく秋の景色も楽しんでいただけることと思います。寒さ対策をしっかりして、ぜひ足をお運びください。

 

【文化講座(9/3)のご報告】

先月3日(土)、『アウトサイダーたちの太平洋戦争―知られざる戦時下軽井沢の外国人』
(芙蓉書房出版、2021年)の著者である高川邦子氏をお招きし、ご講演:「太平洋戦争と軽井沢の外国人」~「アウトサイダー」たちが体験した戦時下の暮らしと日本~、を実施いただきました。

戦時下の軽井沢にどれほどの外国人がいて、なぜ彼らが軽井沢に集められたのかということから始まり、彼らはどのような環境でどのような生活をしていたのか、その厳しい暮らしの実態を具体的なエピソードを交えてお話しいただきました。多くの資料や手記の翻訳、聞き取り調査等で集められた証言をもとに構成されたご講演は、当時の軽井沢を外国人(「アウトサイダー」)の視点から知ることができる、とても貴重なものでした。参加者の方も、今まで知られていなかったお話や、見たことのないスライドの写真に、興味深く目と耳を向けられていました。

今から80年ほど前の軽井沢で起きていたできごとですが、高川氏のご講演の最後にあったように、「自分と異なる体験・視点を知ることで、多様性を考えて今後の時代を生きる上で役立つ」ような講演会でした。貴重なお話をしてくださった高川先生、参加者の皆様、本当にありがとうございました!

 

講演会のようす

(講演会風景。左手奥が高川氏)

 

【展示品のご案内】

先月は、「入山峠の祭祀遺跡(さいしいせき)」から出土した古墳時代の資料についてご紹介いたしました。少し時代が下って、奈良・平安の頃には中央の命令で「東山道」が整備され、当時「長倉」と呼ばれた地域には駅馬15頭が常備されました。中央集権を維持・拡大するために、道はとても重要でした。佐久三牧(望月・塩野・長倉)のひとつである「長倉の牧」が軽井沢の高原一帯に置かれ、朝廷に馬を献上していました。

鎌倉時代、信濃からは碓氷峠を越えて鎌倉街道上道に入ったとされ、新田義貞の鎌倉進軍の知らせを聞きつけた信濃守護の北条国時が、幕府を援護するために上田からここを通って駆けつけたと考えられています。

そして時代は変わって室町時代。資料館にも、この時代の資料が展示されています。

 

五輪塔場

 

…はい、こちらは室町時代のものとされる「五輪塔」です。町内では、「茂沢の五輪塔群」も有名です。五輪塔は、平安後期から徐々に上流階級の人々のお墓として建てられるようになり、鎌倉時代では主に武士のお墓でした。江戸時代中期に現在のような墓碑を建てるようになるまで、亡くなった方の供養のために建てられていました。

この五輪塔も、乱世へ向かっていく室町時代に、戦いの中で亡くなった土豪のものなのかも知れません。その後も武田・上杉の陣馬ヶ原の戦、秀吉小田原征伐の北方軍により碓氷峠が戦場となりました。

 

軽井沢町では、中世(平安時代後期~戦国時代)の資料はあまり多くは見つかっていませんが、多くの人が行き来する「道」がずっと通っていたのだということは間違いなさそうです。

 

 


2022年9月号 ー長月ー

 

お盆が過ぎると、あっという間に秋の風を感じるようになりました。例年、10月の後半には、雲場池の紅葉が見ごろになり、浅間山の初冠雪のニュースを聞くようになります。9月の楽しみは、空調を使わず自然のままの風で過ごせること、上を見上げると、いつの間にか木の実がいっぱいついているのに気づくこと、長雨が続いた後に、珍しいキノコがたくさん出て来ているのを見つけること、などでしょうか。ぜひ、自然に囲まれた歴史民俗資料館で、周りを見回していろいろな発見をしてみてください。

 

【秋季特別展のご案内(再掲)】

資料館では、来月9月1日(木)から10月31日(月)まで、秋季特別展「ポール・ジャクレー展」~軽井沢を愛したフランス人浮世絵師 ポール・ジャクレー木版画展~を実施します。その生涯のほとんどを日本で過ごした氏の木版画作品の中から、20点余りをご紹介する展示です。

開催期間中は、常設展、正宗白鳥展、旧近衛文麿別荘も同じチケットでご覧いただけますので、大変お得になっております。

開催概要の詳細につきましては、こちらのページをご確認ください。

 

【展示品のご案内】

7月号では、杉浦非水・翠子夫妻合作の資料をご紹介いたしました。現在特別展を開催している正宗白鳥氏、ポール・ジャクレー氏との関係を見ると、非水氏と白鳥氏はほぼ同年代。翠子氏は10歳程若く、ポール・ジャクレー氏はさらに10歳程若い世代となります。共通点として、明治・大正・昭和の日本で過ごしたこと、戦時中に疎開のため軽井沢に滞在し、その後も軽井沢で多くの時間を過ごしたことが挙げられます。4者の作品を通して、近代(明治期以降)、そして近世(江戸時代)の日本にもぜひ思いを巡らせてみてください。

 

さて、ひと月間が空きましたので振り返りが長くなりましたが、今月ご紹介するのは、縄文の展示コーナーに続くこちらの資料です!

 

入山峠祭祀遺跡出土品

 

…こちらは、軽井沢町の南東に位置する、「入山峠の祭祀遺跡(さいしいせき)」から出土した資料です。こちらの遺跡からは、主に古墳時代の遺物が出土しています。

祭祀遺跡とは、簡単に言うと、神様に捧げものをした儀礼の跡のことをいいます。険しい山路の安全を峠の神に祈ったとも、峠の向こうに広がるまだ見ぬ国での災厄を祓ったともいわれますが、その当時にはどのような祈りが込められていたのでしょう。

出土した資料のうち、実際に展示されている資料はごく一部で、写真左上の「管玉(くだたま)」が22点、その右の「臼玉(うすだま)」が273点、右上の「剣形模造品(つるぎがたもぞうひん)」が128点など、まとまった数の資料が出土しています。

右下の「有孔円板(ゆうこうえんばん)」は鏡を模したものと見られ、「剣・鏡・勾玉(と玉類)」は古代の祭祀において非常によく用いられるセットとなります。

 

長野県内には、他に立科町の「雨境峠(あまざかいとうげ)」、阿智村の「神坂峠(みさかとうげ)」にも同様の古墳時代の峠の祭祀遺跡があります。これらの遺跡は、奈良時代に入る少し前から中央の命令でつくられたという東山道よりもさらに古い時代に存在した道、「古東山道」の重要な手掛かりとも考えられています。

 

碓氷バイパスを通って群馬・東京方面に向かう際に越えるのが入山峠です。車でお越しの際は、県境のあたりで、古墳時代の人々が熱心に祈りを捧げていたんだな、と思い出していただければ幸いです。

 

 


2022年8月号 ー葉月ー

 

先月は後半まで肌寒い日がありましたが、いよいよ軽井沢も日中は夏らしい暑さを感じる月となりました。とはいえ、この暑さもお盆まで。またすぐに秋に向かっていく軽井沢の短い高原の夏を楽しみながら、木々に囲まれて涼しい歴史民俗資料館にもぜひ足をお運びください。

 

【文化講座(7/17)のご報告】

先月17日(日)、愛知淑徳大学の吉田竜也先生をお招きし、現在公開中の特別企画展「正宗白鳥展」にちなんだご講演、「正宗白鳥―その足跡と軽井沢―」を実施いただきました。連休の中日にもかかわらず、会場はほぼ満席で、講演会を聞くために遠方からお越しになった参加者もいらっしゃいました。

白鳥氏の評論の紹介ではそのあまりの辛辣な書きっぷりに会場に笑いが起きたり、特別展では展示しきれなかった資料の解説をしてくださったり、白鳥氏夫人であるつね氏の手記をご紹介いただいたりと、盛りだくさんの内容!参加者の方からは、先生の人柄が親しみやすくわかりやすかった、おもしろかった、とのお声をいただきました。

軽井沢にゆかりのある文学者について、楽しみながら理解を深められた講演会でした。軽井沢までお越しくださいました吉田先生、参加者の皆様、本当にありがとうございました!

講演会風景(吉田竜也先生)

(講演会風景。左手奥が吉田先生)

 

【文化講座(9/3)のご案内】

9月3日(土)に、『アウトサイダーたちの太平洋戦争―知られざる戦時下軽井沢の外国人』
(芙蓉書房出版、2021年)の著者である高川邦子氏を講師に招き、文化講座を開きます。講座の詳細につきましては、こちらのページをご確認ください。※参加には、事前の予約が必要となります。

 

【秋季特別展のご案内】

資料館では、来月9月1日(木)から10月31日(月)まで、秋季特別展「ポール・ジャクレー展」~軽井沢を愛したフランス人浮世絵師 ポール・ジャクレー木版画展~を実施します。その生涯のほとんどを日本で過ごした氏の木版画作品の中から、20点余りをご紹介する展示です。

 

ポール・ジャクレー展チラシ

 

開催概要の詳細につきましては、こちらのページをご確認ください。

 

(今月は展示品のご紹介はお休みします。来月をお楽しみに!)

 

 


2022年7月号 ー文月ー

 

梅雨寒も過ぎ、夏らしい陽射しが見られ、日なたでは少し汗ばむ季節となりました。一方で、夏の軽井沢名物、霧がよく見られる季節でもあります。高すぎる湿度は文化財には大敵ですが、美しい苔庭や、ひんやりとした静寂など、軽井沢らしい風景・時間を作り出してくれます。

 

【特別企画展のご案内】

資料館では、今月7月9日(土)から8月31日(水)まで、特別企画展「正宗白鳥展 ~拝啓 正宗様~ 白鳥に宛てた書簡を中心に」を実施します。雲場池そばに別荘を持ち、戦中・戦後の17年を、厳しい冬を含めた四季を通じて軽井沢で過ごした白鳥氏(小説家・劇作家・評論家)の足跡をご紹介する展示です。

 

正宗白鳥展チラシ(表)

 

開催概要や文化講座の詳細につきましては、こちらのページをご確認ください。

 

【展示品のご紹介】

先月は、縄文時代の石鏃(矢じり)をご紹介いたしました。

今月は、縄文土器の展示ケースの反対側にある、開館当初は館長室だった部屋に展示されている、こちらの資料です…!

 

杉浦非水・翠子 合作色紙(浅間山と教会)

 

こちらは、大正~昭和中期に活躍された歌人の杉浦翠子氏と、その夫であり日本画家の杉浦非水氏の合作の色紙です。歌は翠子氏が書き、絵は非水氏が描いています。右奥に見えるのは、煙を上げている浅間山でしょう。

資料館の入口脇には、杉浦翠子氏の歌碑が中軽井沢の別荘から移築され、保存されています。碑に書かれた歌の中にも浅間山が登場しますが、そこに書かれた心情と光景が、自分のものとしてよみがえるような素晴らしい作品です。

先にご紹介しました正宗白鳥氏とほぼ同年代のお二人ですので、ぜひ特別展と併せて、戦前から活躍され、軽井沢を愛し、戦後も多くの作品を生み出し続けた両氏の作品から見えるものを感じていただければ幸いです。

 

 


2022年6月号 ー水無月ー

 

雨の日が増えてきました。先月は若々しい鮮やかな黄緑色だった草木も、すっかり若芽から濃い緑へと移り変わり、夏には気持ちの良い木陰を作ってくれることでしょう。

 

【盆栽講座】

さて、資料館では、5月14日(土)に盆栽講座を実施しました。

江戸時代後期には庶民の間でも楽しまれていた盆栽を、浅間山の焼石を使って作ることで、軽井沢の歴史や自然に触れていただく講座となっています。

ハンマーとのみを使った作業では、最初は思うように穴が掘れなくても、だんだんと慣れてきて、今年も参加者の方全員がオリジナルの盆栽を完成させることができました。

 

作業風景集合写真

 

(1枚目)制作風景 (2枚目)参加者で記念撮影

自分で作った石の器に、離山に自生する植物を寄せ植えにした盆栽には、自然と毎日お世話をしたくなるような愛着を感じていただけたのではないかと思います。

参加されたみなさま、お疲れ様でした!

 

↓完成した盆栽はこちら

盆栽_完成品

 

 

【展示品のご紹介】

先月は、展示室正面の道標・馬頭観音をご紹介させていただきました。

これらの石造物をあとにして、順路の最初に展示されているのが…

 

石鏃石鏃(アップ)

 

…縄文時代の「石鏃(せきぞく)」です。石鏃は「矢じり」のことを言い、縄文時代の特徴として、有名な「縄文土器」と並んで挙げられるのが、この石鏃を用いた「弓矢」です。縄文人が弓矢を使い始めたのはなぜか、考えてみるのも面白いですね。

(1枚目の写真ですが、1つだけ、石鏃ではない石器が含まれています。正解は、実際の展示をご覧ください!)

 

この石鏃は、「黒曜石(こくようせき)」と呼ばれる透明なガラス質の石でできています。割ると鋭利なナイフのような道具が作れるため、旧石器時代から利用されていました。2枚目の写真をよく見ると、周辺部分も細かく加工していることがわかります。

 

黒曜石は火山性の石であり、どこでも採れるわけではありません。ですが、長野県には良質な黒曜石の産地が複数あります。茂沢南石堂遺跡出土の石鏃は、長和町の和田峠で採れる黒曜石とされており、現代の道でも60~70km離れた場所から持ち込まれています。

 

理化学分析により、長野県の黒曜石が県外各地に運ばれていったこともわかっており、当時のモノの動きがとても広範囲に及んだことが見てとれます。私たちが思う以上に、遠く離れた場所から様々なものを交易で手に入れて、豊かに暮らしていたのかもしれませんね。

 

 

【燻蒸に伴う閉館期間のお知らせ】

歴史民俗資料館・旧近衛文麿別荘(市村記念館)では、資料の保存を目的とした防虫・防カビ対策として、館内ガス燻蒸を実施します。そのため、下記の日程で臨時休館となります。

 

期間中は危険防止のため施設周辺には近づけませんので、故意に立ち入ることのないようご協力ください。皆さまにはご迷惑をお掛けしますが、ご理解・ご協力の程よろしくお願いいたします。

 

 臨時休館期間 6月13日(月)から6月20日(月) 

  (6月21日(火)から通常通り開館します。)

 

※期間中の問い合わせ先:教育委員会 文化振興係(TEL 0267-45-8695)

 

 


2022年5月号 ー皐月ー

 

軽井沢でも、すっかり上着を羽織る機会が減ってきました。

芽吹きの季節を迎えた、新緑の美しい離山公園内は、まだ人も少なく、静かに散策を楽しむことができます。

 

アズマイチゲ(1枚目)やカタクリ(2枚目)の花も、可憐に咲いていました。

鳥のさえずりや、追いかけっこをするリスの姿など、離山の裾野ならではの自然も感じられます。

 

アズマイチゲ カタクリ

 

4月号では縄文の展示コーナーをご紹介しましたので、5月号では、こちらをご案内します!!

 

道標・馬頭観音

 

…はい、少し渋かったでしょうか?

当館展示室入口を入ってすぐに皆様をお出迎えしている、「道標(みちしるべ)」(左)

と「馬頭観音」(右)です。

 

馬頭観音は、必ずしも観音様が彫られているわけではなく、「馬頭観音」の文字のみ記されているものも、数多くみられます。この資料の場合は、正面向かって左側の面に記されていますので、ぜひ確認してみてください。

 

ありふれたように見える石造物ですが、それだけよく見かけるのには、理由があります。

現在見られる道標・馬頭観音が多く立てられたのは、江戸時代に入ってから。五街道が整備され、人々が旅をするときに迷ってしまい、事故にあったりしないようにと、道中の安全を願って、路傍に立てられました。

 

ふと、道を歩いていて、これらの石造物を見かけたら、そういった昔の人の思いや、その道が古い時代から多くの人に利用されてきた道なのだな…と、過去に思いを馳せてみてください。

 


2022年4月号 ー卯月ー

 

令和4年度が始まりました。

 

資料館は、本日4月1日(金)から開館です。

今年度は、町内の縄文時代の遺跡 茂沢南石堂遺跡から出土した遺物を展示しているコーナーを少しだけチェンジしました。大規模な展示替えではなく、ささやかなものですが、皆さんに見ていただければ幸いです。

展示写真

 

 

新型コロナウイルスの感染拡大は収まったわけではありませんが、感染対策をしたうえで軽井沢にもお越しください。

 

※当館では、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、引続き検温を実施し、消毒液、チェックシートを設置しています。みなさまのご協力をお願いいたします。

 

 

 

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教育委員会 生涯学習課 歴史民俗資料館
電話番号:0267-42-6334
電子メール:shiryoukan(アット)town.karuizawa.nagano.jp
備考:メール送信時はE-mailアドレスの(アット)を半角@に変換してから送信下さい。