堀辰雄文学記念館だより  令和4(2022)年度

O(オー)村だより 令和5年3月号

 追分も春の気配を感じるようになってまいりました。

 写真は浄瑠璃寺の馬酔木です。堀多恵のご友人である梅澤良子氏より贈っていただきました。心よりお礼申し上げます。

 

 堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」(1943年7月)では浄瑠璃寺に咲いている馬酔木を、妻と共に見つけるシーンがあります。

 

 その小さな門の中へ、石段を二つ三つ上がって、はいりかけながら、「ああ、こんなところに馬酔木が咲いている。」と僕はその門のかたわらに、丁度その門と殆ど同じくらいの高さに伸びた一本の灌木(かんぼく)がいちめんに細かな白い花をふさふさと垂らしているのを認めると、自分のあとからくる妻のほうを向いて、得意そうにそれを指さして見せた。

「まあ、これがあなたの大好きな馬酔木の花?」妻もその灌木のそばに寄ってきながら、その細かな白い花を仔細(しさい)に見ていたが、しまいには、なんということもなしに、そのふっさりと垂れた一と塊りを掌のうえに載せたりしてみていた。

 どこか犯しがたい気品がある、それでいて、どうにでもしてそれを手折って、ちょっと人に見せたいような、いじらしい風情をした花だ。云わば、この花のそんなところが、花というものが今よりかずっと意味ぶかかった万葉びとたちに、ただ綺麗なだけならもっと他にもあるのに、それらのどの花にも増して、いたく愛せられていたのだ。――そんなことを自分の傍でもってさっきからいかにも無心そうに妻のしだしている手まさぐりから僕はふいと、思い出していた。

 

 全文は青空文庫で読むことができますのでご覧になってください。

 外部リンク:https://www.aozora.gr.jp/cards/001030/card4806.html

 

企画展開催中です。

 3月16日より企画展が始まりました。詳細はこちらからご覧ください。

 

 堀辰雄文学入門ということで、今回は堀辰雄について知ることができる書籍をご紹介します。

〇『新潮日本文学アルバム17 堀辰雄』(1984年 新潮社)

 豊富な写真とともに堀辰雄について知ることができる書籍です。書簡や原稿、ノオト類の写真も収録されているほか、「巨人の椅子」など堀辰雄作品に出てくる軽井沢の写真も掲載されています。

 ちなみに収録されているエッセイは萩原葉子が執筆しておりますので、朔太郎についてもすこし知ることができます。

 

〇『鑑賞日本現代文学 第18巻 堀辰雄』(1981年 角川書店)

 堀辰雄の主要な作品を、解説付きで読むことができます。堀辰雄に関する評論も載っているので、より深く堀辰雄について知ることができます。参考文献も載っているので、堀辰雄文学に入る初めの一歩としておすすめです。

 

〇『堀辰雄初期作品集』(2004年 軽井沢町教育委員会)

 やっぱり作家は最初に発表した作品から読んでいきたい! という方におすすめの一冊です。当館で販売中(1200円)の堀辰雄の初期作品集になります。遠方からご購入希望される方はお問い合わせください。

 

〇『日本文学全集17 堀辰雄 福永武彦 中村真一郎』(2015年 河出書房新社)

池澤夏樹の個人編集による全集になります。堀辰雄の周辺の文学者である福永武彦や中村真一郎の作品も触れることができます。堀辰雄は「かげろふの日記」と「ほととぎす」が収録されています。堀辰雄の代表作といえば「風立ちぬ」や「美しい村」が挙げられますが、どうしてこの二作品が収録されているのかということは、池澤夏樹の解説で確かめてみてください。

 

O(オー)村だより 令和5年2月号

 2月も下旬にさしかかり、暖かい日も増えてまいりました。写真は当館アプローチ前に咲き始めたフクジュソウです。明け方はまだまだ冷え込みが厳しく、春が待ち遠しいですね。

 

次回春期企画展のお知らせ

 今年は堀辰雄没後70年、堀の親友である神西清生誕120年にあたります。ちなみに堀は神西のひとつ下なので、来年が堀辰雄生誕120年です。ちなみにをもうひとつ続けると、『堀辰雄詩集』(山本書店 昭和15年)などの挿画を描いた深沢紅子も、今年が生誕120年です。

 さて、12月のO村だよりでもお知らせしました通り、3月16日(木)から7月11日(火)まで、企画展「堀辰雄没後70年 神西清生誕120年 堀辰雄文学入門 君の芸術を、僕は待つてゐる」を開催します。

 展示替えのため3月13、14日は、企画展示室は入室できませんのでご注意ください(常設展示室やお庭の旧宅、書庫はご覧いただけます)。15日は水曜日になりますので休館です。ご了承ください。

 

企画展の詳細はこちら

 

堀辰雄の夢について

 次回企画展のタイトルにもある「君の芸術を、僕は待つてゐる」は、神西清が堀が亡くなる夢を見た日の日記(詳しくはこちらをご覧ください)からきていますが、堀辰雄もまた自身の夢について綴っている作品があります。堀がどういう夢を見ていたのか、その一部をご紹介します。

 

 僕は生れつき人並以上にずゐぶん面白い夢を見るやうだ。君にもさういふ夢のいくつかはすでに語つたが。――色彩のある夢を見るのは神経衰弱のせゐだと人は言ふ。それは本当だらうか。僕は非常に屡々、彩色された夢を見る。それも透明な、綺麗すぎるやうな色が多い。ずつと以前、さういふ夢を僕は愛したあまり、砂糖が夢によく利く、と云ふことを聞いて、ドロップを沢山しやぶりながら寝たことがあるが、その夜なか僕はとても素的な色彩のついた夢を見た。そして僕はその色が、寝しなに食べたドロップのさまざまな色から成り立つてゐることにすぐ気づいた。――概して僕が夢のなかで見る色彩はさういふドロップに似た色だとか、天然色映画などに特有な薄つぺらな色調を出ない。それに比べると、色彩のない夢――といつても、大概の夢には、その基調をなしてゐるところの、そしていかなる現実的な色彩にも似てゐない、一種の色彩が感じられるものだが、さういふ感じのする単色の夢の方が、ずつと詩的な深味があるやうである。(堀辰雄「プルウスト雑記(神西清への手紙)」昭和7年)

 

 堀は、色彩のある夢は見るが、音の入った夢を見ないと続けますが、まれに「昔聞いたことのある、そして現実ではめつたに思い出しもしないやうな、音楽のモチイフなどをひよつくり夢のなかで聞くことがある」と述べています。そんなときは「眼がさめてからも、その音楽のモチイフが耳のどこかに残つてゐるような気がする。丁度眠りからはみだしてゐる夢そのもののやうに。さういふ時、僕は生涯のうちで幸福の絶頂にある」とまで感じていたようでした。

 これはプルースト『失われた時を求めて』を読んだ堀が、「プルウストを読め」と言った神西に対する報告という形を取ったエッセイです。プルーストについて語るため前置きとして自身の夢について書いたものの、つい深入りしてしまった堀は「僕は平生夢を人一倍に見ることが自分でも得意で、これまでは自分の夢だけは少くとも独創的なものだと信じてゐたが、今朝それすらプルウストの影響を受けてゐることに気がついて、少しばかり自信をなくした」と打ち明けるのでした。

 

 全文は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている以下の雑誌から読むことができます(閲覧には登録が必要です。詳細は国立国会図書館個人向けデジタル化資料送信サービスのページをご覧ください)。

「文學」第三册(厚生閣書店 昭和7年9月)

外部リンク:https://dl.ndl.go.jp/pid/1471656年1月23日

 

 

 

O(オー)村だより 令和5年1月号

 新年あけましておめでとうございます。本年も堀辰雄文学記念館をよろしくお願いいたします。

ミニ展示「夜が明けた、ではまた、御機嫌よう。神西清書簡集」開催中

 閲覧室では現在ミニ展示を開催しております。3月15日から始まる企画展に先駆けまして、戦後堀辰雄に送られた神西清の書簡を中心に展示しております。

 神西が、堀と釈迢空(折口信夫)との往復書簡という気軽な形で、堀自身の言葉で近況を伝える作品を作ってみるのは、病床の堀の気晴らしの仕事になって良いのではないか、と提案した書簡(昭和25年3月18日付)や、追分で過ごす堀に代わり、出版社とのやり取りをしていた神西の様子が分かる書簡など、遠くにありながら堀を思いやっていた神西の思いを感じてみてください。

 堀が昭和25年に第4回毎日出版文化賞を受賞した際の賞状、受賞した作品である『堀辰雄作品集』全7冊(角川書店)も併せて展示しております。『堀辰雄作品集』の気品ある装幀をご覧ください。

 タイトルの「夜が明けた、ではまた、御機嫌よう。」は昭和23年3月13日付の神西清書簡からきています。チラシには一部を抜粋してありますので、よろしければご覧ください(ミニ展示でも展示しております)。

 

チラシ:堀辰雄文学記念館R4ミニ展示チラシ(PDF/539KB)

特別企画展「萩原朔太郎没後80年 萩原朔太郎と堀辰雄」会期終了しました。

 2022年12月27日をもちまして会期終了いたしました。萩原朔太郎没後80年に際し、朔太郎を介した展示を行う文学館、美術館等による同時期開催企画展「萩原朔太郎大全2022」に参加しての開催となりました。

 萩原朔太郎と堀辰雄という取り上げられることの少ない二人の関係について、また、堀辰雄の朔太郎、そして『青猫』への思いについて、知っていただくことができたのではないかと思います。

 この度はこのような貴重な機会をいただきありがとうございました。

 

チラシ: 堀辰雄文学記念館特別企画展「萩原朔太郎没後80年 萩原朔太郎と堀辰雄」チラシ(PDF/738KB)

※なお、チラシ掲載写真を無断で複製・転用することはできません。

 

展示目録:堀辰雄文学記念館特別企画展「萩原朔太郎没後80年 萩原朔太郎と堀辰雄」展示目録(PDF/825KB)

 

 次回の企画展も是非お立ち寄りください。

 

O(オー)村だより 令和4年12月号

 12月に入り、いよいよ雪が降り始めました。

 冬といえば『風立ちぬ』を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか? 『風立ちぬ』は5編からなっている作品ですが、最終章の「死のかげの谷」は、旧軽井沢の、幸福の谷と呼ばれる地にあった、川端康成の別荘で執筆されたことはよく知られています。

 

 滞在中の脇本陣油屋が火事で焼けた。さうして私はノオトも本もすつかり焼いてしまつたが、どうしてもそのまま東京に引き上げる気にならず、軽井沢の或る友人の山小屋を借りて、そこでもう一と冬、越すことにした。

 その冬、深い雪に埋もれた山小屋のなかで、前の冬には書けなかつた「風立ちぬ」の最後の章をなす「死のかげの谷」がおのづからにして成つた。

さうして一九三七年は終つた。(堀辰雄『堀辰雄作品集第三・風立ちぬ』あとがき(昭和21年 角川書店))

 

 堀は、野村英夫と共に川端康成の別荘で冬を越すことになりました。この年の冬の様子は、野村英夫「雉子日記」に描かれています。堀と野村は、クリスマスには大勢の人を呼ぼうと招待状を出しましたが、クリスマスが近づいてくるにつれて断りの手紙が返ってくるばかりでした。そして2人は静かなクリスマスを過ごすことになります。

 

 とうとうクリスマスがやつて来た。其の日も朝から雪が降つてゐた。雪に埋れた村の教会からは、いつもよりもつと美しい音をして鐘が鳴つてゐた。僕たちは晩御飯をすませて、村の方へ谷を下りて行つた。堀さんは霜焼けで靴がはけなかつた位だけれど、僕たちは静かな村の森の中を、どこまでも歩いて行つた。どの別荘にもランプが雪の中に明るくついて、西洋人たちはみんな讃美歌を唱つて居た。こんなクリスマスなら、神様もきつと僕たちのすぐ近くまでおいで下さるだろう。柵の木にはみんな真白な雪が積つて、どれも大きなクリスマス・トウリーの様だつた。谷の奥の家に帰つて、暖炉の火を燃し直し、僕たちは暖い紅茶を飲んだ。(野村英夫「雉子日記・堀辰雄詩集」(「四季」昭和16年1月))

 

 堀辰雄自身も、この時期の暮らしぶりや、『風立ちぬ』について「七つの手紙 或女友達に」(「新潮」昭和13年8月、「山村雑記」と題し発表)に綴っています。青空文庫で読むことができますので、冬休みに読んでみてくださいね。(外部リンク:https://www.aozora.gr.jp/cards/001030/card47875.html

 

次回企画展のお知らせ

 現在開催中の特別企画展は今月27日で会期終了です。

 たくさんの方にご来場いただきまして、誠にありがとうございました。

当館の特別展は27日で終了いたしますが、朔太郎大全の会期は来年1月10日となっております。詳しくは朔太郎大全2022の公式HPをご覧ください(外部リンク:https://www.maebashibungakukan.jp/taizen )。

 

 さて、次の企画展は「堀辰雄没後70年 神西清生誕120年 堀辰雄文学入門 君の芸術を、僕は待つてゐる」です。会期は3月16日(木)~7月11日(火)を予定しております。

 来年は堀辰雄没後70年、神西清生誕120年の年にあたります。2人が知り合ったのは、堀が一高に入学してからでした。二人の親交は生涯に渡り、神西は追分に身を置く堀に代わって出版社との交渉をし、堀没後も堀辰雄全集の編集に携わるなど、堀辰雄と彼の文学を支えたひとりでもあります。

 神西は「堀辰雄文学入門」(『堀辰雄集』(昭和25年 新潮社))という堀文学について論じた作品を残しています。本企画展では、「堀辰雄文学入門」を手掛かりに、堀辰雄文学の魅力をいま一度再発見していきます。

 

 

 

O(オー)村だより 令和4年11月号

 11月に入り紅葉が見頃を迎えました。上のお写真は11月3日、文化の日に撮ったものになります。この日は町文化施設が無料開館しておりまして、当館もたくさんの方に足を運んでいただきました。

 

朗読会を開催しました。

 11月12日(土)に、軽井沢図書館朗読ボランティア「オオルリ」による朗読会を行いました。

「オオルリ」は平成25(2013)年に発足されました。主な活動内容は、障がい者のための対面朗読、「広報かるいざわ」の全文録音・CD作成、小学校や老人養護施設等への訪問朗読会。文化施設等での朗読会の開催です。その他、月に一度と、不定期の勉強会等を行っています。

 

 ご入会を希望される方は「オオルリ」事務局(担当:池さん 電話:090-3095-1941)にお問い合わせください。

堀辰雄文学記念館朗読会 萩原朔太郎・没後80年に寄せる愛惜
堀辰雄「立原道造君」(『堀辰雄詩集』昭和15年 山本書店)

『堀辰雄詩集』のために執筆されたもので、別紙に刷って折り込まれたものになります。

堀辰雄がこの詩集を作るきっかけになったのは、立原道造が手ずから編んだ堀の詩集でした。立原が亡くなったあと、立原が堀の詩を筆写し、小さな冊子にしたその詩集を、深沢紅子から見せられた堀は、それとそっくりの本を作ることを夢見ました。

 また、『堀辰雄詩集』に収められている詩三編(天使達が……/僕は歩いてゐた……/僕の肺にとまつてゐる……)も併せて朗読しました。この三編の詩について、堀は「立原道造君」の中で、「私が今日までに書くことの出来た詩の全部である」と語っています。

堀多恵子「病とたわむれて」(『私は結核を乗り越えた』昭和26年 のち「葉鶏頭」と改題)

 堀辰雄が「僕は病気のやつにほれこまれてね」と言ったことなどについて書かれた随筆です。堀夫妻が立原道造を見舞ったことに関しても書かれています。辰雄が「鶏頭の十四五本もありぬべし」という子規の句を好い句だと語ったのを聞いた多恵子は、葉鶏頭の種を、現在の堀辰雄文学記念館内にある堀辰雄の旧宅の庭先に蒔いたそうです。

堀多恵子「ふるい日記より その一」(「みどり」昭和34年)より一部

 堀多恵子の昭和26年5月31日の日記です。堀辰雄宛に本が届いたこと、「落葉」と題する一冊の本を編みたいと辰雄が夢見ていたことなどが記されています。夢の中でコクトーに会ったがフランス語が話せなくて困ったという辰雄に、多恵子は「今晩はノワイユ伯爵夫人に会えるといいわね」と言うと、小さい声で辰雄は笑ったといいます。

ノアイユ伯爵夫人「生けるものと死せるものと」(堀辰雄訳)(菱山修三編『続仏蘭西詩集』(昭和18年 青磁社))

 ノワイユ伯爵夫人は18世紀末から19世紀前半のフランスの詩人です。堀辰雄が訳したノアイユ伯爵夫人の「生けるものと死せるものと」という詩は、菱山修三編『続仏蘭西詩集』(昭和18年 青磁社)に掲載されました。

 同書は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧することができます(外部リンク:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1132553 なお、閲覧には登録が必要です。詳細は国立国会図書館個人向けデジタル化資料送信サービスのページをご覧ください)。

堀辰雄「「青猫」について」、「萩原朔太郎年譜」

 今年の特別企画展ではお馴染みの二作品になります。この二作品は青空文庫において公開されておりますので、まだ読んだことがない方は是非アクセスしてみてくださいね。

「「青猫」について」 外部リンク:https://www.aozora.gr.jp/cards/001030/card47894.html

「萩原朔太郎」(初出時のタイトルは「萩原朔太郎年譜」) 外部リンク:https://www.aozora.gr.jp/cards/001030/card47924.html

 

※青空文庫:インターネット上で無料で公開されている電子図書館

 

 その他、萩原朔太郎の詩なども朗読しました。

・「青猫」(「詩歌」第7巻第4号 大正6年4月号)

・北原白秋「月に吠える 序」一部(萩原朔太郎『月に吠える』大正6年 感情詩社・白日社)

・「見しらぬ犬」(「感情」第2年2月号 大正6年2月号)

・「竹」(「詩歌」第5巻第2号 大正4年2月号)

・「青猫 序」一部(『青猫』昭和12年 新潮社)

・「憂鬱なる花見」(「感情」第2年6月号 大正6年6月号)

・「黒い風琴」(「感情」第3年4月号 大正7年4月号)

・「遺伝」(「日本詩人」第1巻第3号 大正10年12月号)

 
【公開終了】本朗読会は、現在開催中の特別展「萩原朔太郎没後80年 萩原朔太郎と堀辰雄」の会期中、Youtubeにて公開いたします。ぜひご覧ください。

 

※朗読した作品は「オオルリ」のみなさんが朗読用に編集したものです。

※朗読作品中において、今日では不適切な表現がありますが、作品の文化的価値に鑑みてそのまま表現しています。

 

 

 これにて今年度のイベントは全て終了しました。ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。来年度もご参加お待ちしております。

 なお、特別企画展は12月27日(火)まで開催しておりますのでよろしくお願いいたします。

 

 

O(オー)村だより 令和4年10月号

 日ごとに冷え込みが増していくようで、当館アプローチのカエデも日に日に色づいてまいりました。

 ご好評につき11月15日まで会期を延長しております歴史民俗資料館の正宗白鳥展ですが、先日、徳田秋聲記念館の学芸員さんがご来館されました。秋聲記念館さんのブログ「寸々語」10月12日の記事では、正宗白鳥展について、13日の記事では当館について取り上げてくださっています。(外部リンク:https://www.kanazawa-museum.jp/shusei/sunsungo/index.html

 徳田秋聲と堀辰雄とは直接的な繋がりはありませんが、上記の秋聲記念館さんの13日の記事で紹介された「文芸雑話」(昭和9年4月)の前年にも、秋聲は「美しい村」について批評しているのでご紹介します。

 

 十月号の「改造」で堀辰雄氏の「美しき村」といふのを読んだが、この人のものは、前にも一つ読んでその純白柔軟な感覚に感心した方だが、「美しき村」は作品自体は感じのいゝものだが、小説としては実がなく、散文詩としては詩藻と慧智に乏しく、作者のものとしては寧ろ貧しい方ではないかと思ふ。

 たゞ都会的人生から逃避して、自然に息づいてゐる作者の繊細な感覚が、私などの硬い胸を柔かにさはつてくれる。有り来りの生活のにじまない自然描写などとは自から違つてゐる。

 私は自然の理解の仕方では、日本の俳諧にも相当開拓すべき領域のあることを、この作品で知つた。(「文芸時評」(「文芸」創刊号 昭和8年11月))

 

 また、秋聲といえば、秋聲の追悼会(昭和18年11月20日)が行われたときに、堀辰雄は井伏鱒二から太宰治を紹介されたエピソードがあります。青山斎場へ向かう電車の中で堀と何年かぶりに再会した井伏は、そのときに連れていた太宰を堀に紹介しました。帰りも同じ道でしたが、堀は阿佐ヶ谷駅で「さよなら」と別れを告げて降り、それが堀と井伏とが会った最後となりました。他にも、太宰が堀を「いい男前だ」と言っていたことなどが、井伏鱒二の「堀辰雄」(「文学界」昭和28年8月)に書かれているので、ご興味のある方はぜひお読みくださいね。

 

※詞藻:しそう。文章の修辞、ことばのあや。

 

リゾートコンサートを開催しました。

 9月25日(日)に午前と午後とに分け2回公演が行われました。

 

出演 尾尻雅弘(ギター)、杉原桐子(ヴァイオリン)

演目 アントニオ・ヴィヴァルディ:調和の霊感 作品3-3 ト長調、RV310/BWV978

マウロ・ジュリアーニ:「協奏風二重奏曲ホ長調 作品25」~第1楽章、アストル・ピアソラ:鮫 他

 

【終了】10/29(土)には追分宿郷土館でもリゾートコンサートが行われます。

 

 堀辰雄も自身の作品に音楽が登場するなど、音楽に親しんだ作家でした。今年度の「野いばら講座」では、堀愛用の蓄音機を用いて、堀が聴いていたレコードを再生しました。6月号のO村だよりでは、講演で配布した資料や演目の紹介もご覧いただけます。

 

堀辰雄を語る会を開催しました。

今年の「堀辰雄を語る会」は特別企画展「萩原朔太郎没後80年 萩原朔太郎と堀辰雄」にちなみ、萩原朔太郎と堀辰雄に関して講演していただきました。講師はデジタルハリウッド大学非常勤講師であり、萩原朔太郎研究会幹事の栗原飛宇馬先生です。

 堀辰雄は、朔太郎が行っていた手品に関して「いま考へると、それを単に彼らしい道楽とのみ考へてすますことは出来ないやうな気がせられてくる」と「萩原朔太郎」(朔太郎没後、文芸雑誌「四季」(昭和17年9月)において、萩原朔太郎追悼号が編まれたときに、堀辰雄が執筆した朔太郎の年譜)で述べています。

 栗原先生は、朔太郎の手品と作品との関係を指摘され、時には手品を実際に披露してくださいました。当館は来年開館30周年を迎えますが、これまで展示室内で手品が行われたのは、今回が初めてかもしれません。

 他にも、戦時中に書かれた朔太郎の文章を、堀が知人に宛てた書簡をもとに読み解くなど、大変興味深い講演をしていただきました。アンコール(?)の手品では、質問者の方が選んだトランプのカードが、配布資料の表題に載せられたトランプの数字と一致するというもので、会場は驚きと共に拍手で包まれました。

 

 

 【終了】秋の朗読会、受付中です

  来月、11月12日(土)に軽井沢朗読ボランティア「オオルリ」による朗読会が開催されます。今回は堀辰雄の作品の他に、堀多恵子の随筆、萩原朔太郎の詩も予定しております。

 まだお席に余裕がございますので、みなさまお誘いあわせの上、奮ってご参加ください。

 

 

O(オー)村だより 令和4年9月号

 9月も半ばを過ぎ、段々と肌寒くなってまいりました。みなさま暖かくしてお過ごしくださいね。さて、7月から始まりました特別企画展も、残すところあと3ヶ月です。今月は展示資料をいくつかご紹介していきます。

(左)企画展示室入口、(右)企画展示室内

主な展示資料紹介

署名本
・萩原朔太郎『定本青猫』(昭和11年 版画荘)
・萩原朔太郎『氷島』(昭和9年 第一書房)

 いずれも堀辰雄が朔太郎から贈られた署名本になります。
『定本青猫』を朔太郎からもらった経緯は、堀辰雄「「青猫」について」で窺い知ることができます。『定本青猫』の出版社である版画荘のある通りで、朔太郎とばったり出くわした堀辰雄は、「君にも上げたいと思つてゐたのだ」と朔太郎から『定本青猫』を受け取ったといいます。
『氷島』は、堀辰雄に送られた朔太郎の書簡(昭和9年6月13日付)に、「今日、別便で御届けします」と書かれているのが確認できます。堀辰雄は前日の6月12日に、出版されたばかりの『美しい村』(昭和9年 野田書房)を届けにきたそうですが、朔太郎は新宿に出かけており、2人は会うことができませんでした。

堀辰雄宛 萩原朔太郎書簡3通(複製)
・昭和9年6月13日付(世田谷区代田より 向島宛)
・昭和9年6月25日付(世田谷局より 向島宛)
・昭和13年5月16日付(世田谷区代田より 向島宛)

 昭和9年6月13日付の書簡は、堀辰雄から『美しい村』をもらった御礼や、堀辰雄や中野重治が作っていた同人雑誌「驢馬」の仲間と会を開きたいという思いが綴られた書簡です。
 昭和9年6月25日付の書簡は、『美しい村』の感想がメモ書きで書かれているものになります。朔太郎の娘、萩原葉子は「メモ書きで感じることを書いたのは、この手紙くらい」と語っています。
 昭和13年5月16日付の書簡は、堀からの献本の御礼で、贈られた本は恐らく『風立ちぬ』(昭和13年 野田書房)のことでしょう。『風立ちぬ』の感想が書かれた書簡は残っていませんが、どんなことが書かれたのか、想像してみてくださいね。

萩原朔太郎全集
・『萩原朔太郎全集』(昭和18年~19年 小学館)
・『萩原朔太郎全集』(昭和26年 創元社)

 小学館版『萩原朔太郎』全集に関しては、堀辰雄は編集委員として従事していました。全集の展示に合わせて、各全集の内容見本(パンフレット形式の広告)も展示しています。いずれの内容見本にも堀辰雄は文章を寄せており、小学館版『朔太郎全集』の内容見本には「萩原さんのお仕事は、若かりし頃の私のすべてであった。そしていまもなほ私の「青春」そのものである」とまで述べており、朔太郎への思いを感じることができます。

 

 

 

O(オー)村だより 令和4年8月号

特別企画展「萩原朔太郎没後80年 萩原朔太郎と堀辰雄」の展示目録を公開しました。

 先月より始まりました特別企画展ですが、展示目録を公開しました(特別企画展のページはこちら)。また、企画展示室に、展示されている作品を実際に手に取ってお読みいただけるコーナーを作成しました。堀辰雄宛の萩原朔太郎書簡、堀辰雄「「青猫」について」、「二三の追憶」(萩原朔太郎部分のみ抜粋)、萩原朔太郎「四季同人印象記」(堀辰雄部分のみ抜粋)がお読みいただけます。

 

緑陰講座を開催しました。

 堀辰雄文学記念館では、毎年恒例の緑陰講座を2日間開催しております。今年は8月6日(土)、8月7日(日)に行いました。

第1回「軽井沢と近現代作家——有島武郎・堀辰雄・中村真一郎 ほか」

 1日目は池内輝雄先生(日本近代文学館副理事長)に講演していただきました。池内先生の軽井沢での生活についてや、堀辰雄文学との出会いについてお話いただきました。そして、有島武郎、芥川龍之介、堀辰雄、室生犀星、中村真一郎と軽井沢との関わりを、池内先生が過ごされてきた軽井沢での生活を踏まえつつお話いただきました。また、最後の質疑応答の時間では、今後の文学の在り方等、活発に意見が交わされました。

 

 

第2回「詩の中の色」

 2日目は、萩原朔太郎の孫であり、前橋文学館の館長の萩原朔美先生をお招きしました。詩は分からないと公言していた萩原先生と文学、詩との出会いから、詩とのふれあいなどをお話いただきました。

 また、朔太郎大全を開催した理由については、朔太郎の詩に多用される「白」という色を例に、詩の中に使われる色は、その色の意味として使われているだけではないのだという萩原先生の気付きから、言葉というものを詩人たちがどう捉えていたか再発見してもらいたいという願いを抱いたからと教えていただきました。

 

 

「夏休み子どもの文学講座」~心に文学の種をまこう~

午前の部:『声で味わう 耳で味わう』

午後の部:『詩を読む 詩を書く』

 

 8月18日(木)に行いました本講座は、当館初めての試みとなります。講師は軽井沢風越学園教諭であり、青山学院大学非常勤講師の甲斐利恵子先生をお招きしました。

 午前の部では初めに堀辰雄『風立ちぬ』の朗読をし、次に夏目漱石『吾輩は猫である』の朗読を行いました。『吾輩は猫である』の文章から少しずつ文字を消していき、クイズのように暗唱をしていきました。 

 午後の部では詩にふれました。詩の構成についての説明や、宮沢賢治などいくつかの詩を紹介したのち、実際に詩を音読していきました。そして、まど・みちお「よかったなあ」の詩に習い、詩を作り発表しあいました。

 参加されたお子さんは1年生から6年生までいらっしゃいましたが、1年生のお子さんも張り切って参加されていました。最初は声が小さかったお子さんも、講座が進むにつれ、元気に声を出している姿が印象的な講座となりました。

 

 

 

O(オー)村だより 令和4年7月号

7月14日より、特別企画展「萩原朔太郎没後80年 萩原朔太郎と堀辰雄」が始まります!

  いよいよ特別企画展の開催が間近に迫ってまいりました。10月31日までは無休で開館しておりますので、いつでもいらしてくださいね。特別企画展の詳細はこちらのページをご覧ください。

 

 萩原朔太郎といえば、堀辰雄を文学の世界へいざなったと言っても過言ではない存在ですが、そのきっかけを作ったのは、堀の親友である神西清でした。これについて、神西は以下のように語っています。

 

 未来の数学者を夢みて一高の理科(ドイツ語)に入学すると早々、十七歳の少年堀は或る悪友の手引きで、はじめて萩原朔太郎の詩の味をおぼえた、まもなく出たこの詩人の第二詩集『青猫』は、たちまち彼の座右の書になった。(※1)

 

 自身のことを悪友と称している点が、神西の茶目っ気のある一面を垣間見ることができ印象的です。神西は、堀が亡くなった3ヶ月後、もう少し詳細にこれについて述べています。

 

 この文中にある悪友というのは、じつは僕のことなのだが、三十三年といえば決して短くない交友期間を通じて、僕が彼にしてやれた唯一の善事は、おそらく彼を朔太郎の詩に近づけたことぐらいなものだったろう。

 ことの起りは、僕が中学時代から朔太郎の『月に吠える』に惚れこんでいて、(中略)数学志望のこの美少年の前で吹聴したのに始まる。堀辰雄は最初すこし抵抗しているらしい様子だったが、やがて朔太郎の第二詩集『青猫』が出るに及んで、たちまちこの放浪詩人の俘になった。(※2)

 

 神西は『青猫』の「閑雅な食慾」を例に挙げ、朔太郎は艶のある音楽から「一種典雅な抒情主義へ、ひらりと転身しているように」思えたようで、その『青猫』に夢中の堀に対し「何か我慢のならぬスノビズムを感じとって、それから暫くは彼の前で小っぴどく朔太郎をやっつけるように」なったほどでした。しまいには堀から「もう僕の前で朔太郎の話はしないでくれないか!」と言われてしまい、これが堀とした最初の喧嘩だったと彼は回想しています。

 そして堀は後に、朔太郎の詩集とだけではなく、朔太郎本人とも交流していくことになります。

 

※1 神西清「堀辰雄文学入門」(『堀辰雄集』解説(昭和25年 新潮社)、「文芸・臨時増刊」(昭和32年2月)にて補削)本文引用は『堀辰雄全集 別巻2』(昭和55年 筑摩書房)に拠った。

※2 神西清「静かな強さ」(「文学界」昭和28年8月号)本文引用は『堀辰雄全集 別巻2』(昭和55年 筑摩書房)に拠った。

 

 【終了】講座のご案内

【終了】緑陰講座

〇第1回「軽井沢と近現代作家——有島武郎・堀辰雄・中村真一郎 ほか」

日時:8月6日(土)10:30~11:30
講師:池内 輝雄 氏(日本近代文学館副理事長)

〇第2回「詩の中の色」

日時:8月7日(日)10:30~12:00
講師:萩原 朔美 氏 (前橋文学館館長・萩原朔太郎 孫)


定員:各25名
場所:堀辰雄文学記念館
申込:7月11日(月)9:00より

 

【終了】「夏休み子どもの文学講座」
   ~心に文学の種をまこう~

日時:8月18日(木) 

午前の部(10:00~11:30):『声で味わう 耳で味わう』
午後の部(13:00~14:30):『詩を読む 詩を書く』

定員:各25名

対象:小・中学生
講師:甲斐 利恵子 氏(軽井沢風越学園教諭/青山学院大学非常勤講師)
場所:軽井沢町中央公民館 

申込:7月19日(火)9:00より

 

【終了】堀辰雄を語る会
萩原朔太郎と堀辰雄——手品・戦争・『青猫』をめぐって

日時:10月2日(日)13:30~15:00 

定員:25名
講師:栗原 飛宇馬 氏(デジタルハリウッド大学非常勤講師/萩原朔太郎研究会幹事)
場所:堀辰雄文学記念館 

申込:9月5日(月)9:00より

【終了】秋の朗読会(軽井沢図書館朗読ボランティア「オオルリ」)

朗読作品:堀辰雄、萩原朔太郎の作品より
日時:11月12日(土)13:30~15:00

定員:25名  
場所:堀辰雄文学記念館 

申込:10月11日(火)9:00より

 

※各イベントは無料(会場が堀辰雄文学記念館の場合は入館料のみ)、予約制です。電話か窓口でお申し込みください。定員になり次第締め切ります。
※新型コロナウイルス感染症の状況によっては、企画展や講座等の日程が変更または中止となる場合がございますのであらかじめご了承ください。

 

O(オー)村だより 令和4年6月号

野いばら講座を開催しました

 5月28日(土)、堀辰雄の命日に、野いばら講座を開催しました(講座の詳細は先月号のO村だよりをご参照ください)。当日は、前日の雨が嘘のような晴れ晴れとした爽やかな一日でした。

 今年の野いばら講座「音楽で出会う堀辰雄 蓄音機・SPレコードで聴く」では、庄司達也先生(横浜市立大学教授)から、堀の作品、書簡等に出てくる音楽についてお話いただきました。

 また、堀辰雄が当時使っていた蓄音機(軽井沢高原文庫所蔵)、庄司先生がお持ちの蓄音機を用いて、堀辰雄旧蔵SPレコード(当館所蔵)の他、堀辰雄が聴いていたと特定できた音源のレコードを庄司先生にお持ちいただき、再生していただきました。

演奏楽曲(順不同)
ヴィットリア「アヴェ・マリア」/パレストリーナ「贖主の聖歌よ」(日ビクターJA688)

ラ・クロア・ド・ボア教会小聖歌隊合唱団(パリ木の十字架少年合唱団)

ドビュッシー「もう家もない子等のクリスマス」(日コロンビア2339)

クロード・パスカル(ボーイソプラノ)

 

 「アヴェ・マリア」、「贖主の聖歌よ」は、立原道造が昭和13年、結婚祝いとして堀夫妻へ贈った曲。「もう家のないクリスマス」は、その際「不意に家のなくなつてしまつた日のかたみ」(昭和12年、堀や立原が逗留していた油屋旅館の火事のこと)として贈った曲。

参考)立原道造書簡(昭和13年4月下旬(推定)堀辰雄宛)、堀辰雄「木の十字架」(「知性」昭和15年7月/『雉子日記』(昭和15年 河出書房)) 、堀多恵子「辰雄の作品と音楽と」(CD『堀辰雄の芸術 堀辰雄愛蔵SPレコードより』(平成3年8月 ビクター音楽産業))

 

ショパン「前奏曲」(日ビクター6715~6718、当館所蔵)より

アルフレッド・コルトー(ピアノ)

シューベルト「冬の旅」(日ビクターJD-357~362/JF50~52、当館所蔵)より

ゲルハルト・ヒュッシュ(バリトン)

 

「前奏曲」は堀が「木の十字架」において好んでいると述べた曲。堀多恵子は「前奏曲」、「冬の旅」は『菜穂子』(昭和16年 創元社)執筆時の助けであったであろうと述べている。

参考)堀辰雄「木の十字架」、堀多恵子「辰雄の作品と音楽と」、堀辰雄書簡(8月24日、9月10日(月日推定)田中喜代子宛)

 

バッハ「ブランデンブルグ協奏曲」(日コロンビアB1~14、当館所蔵)より

ブッシュ室内合奏団

 

堀がこのレコードを手に入れたときは、中村真一郎に嬉しそうに聴かせたという。

参考)中村真一郎「堀辰雄と文学」」(CD『堀辰雄の芸術 堀辰雄愛蔵SPレコードより』(平成3年8月 ビクター音楽産業))

 

ブラームス「アルト・ラプソディ」(日ビクター7417~7418)

ジークフリート・オネーギン(コントラルト) クルト・ジンガー(指揮)

ベルリン国立歌劇場弦楽団ベルリンドクトル合唱団

 

堀は「ゲエテの「冬のハルツに旅す」」で、歌手の陰影に富んだ底光りするような歌声に魅了されたと語っている。

参考) 堀辰雄「狐の手套 九 ゲエテの「冬のハルツに旅す」」(「一橋新聞」昭和15年1月1日)

 

講座資料

R4_野いばら講座プログラム(PDF/376KB)

R4_野いばら講座配布資料(PDF/612KB)

講座風景

中央の蓄音機が堀辰雄愛用の蓄音機(日本製 製造元不明 山野楽器製「オルソトン2号」に酷似)。両側の蓄音機は庄司先生のもの。

 

 

 

特別企画展のお知らせ 「萩原朔太郎没後80年 萩原朔太郎と堀辰雄」

先月でもお知らせしましたが今年度の特別展「萩原朔太郎没後80年 萩原朔太郎と堀辰雄」のチラシとポスターが完成しました! 詳細はこちらをご覧ください。

 

 

O(オー)村だより 令和4年5月号

 

 5月に入り、緑萌え出ずる美しい季節となってまいりました。朝は特に鳥のさえずりが賑やかで、芽吹き始めた瑞々しい若葉の中に、鳥の影を探しつつ開館準備をしております。写真は館の受付前に咲いている満開のツツジです。

 

 今月は堀辰雄の命日を迎えます。毎年、当館では堀辰雄の命日(5月28日)にあわせて「野いばら講座」を開催しております。今年は命日当日に開催が決まりました。今年の「野いばら講座」では、庄司達也先生(横浜市立大学教授)をお招きして、堀旧蔵のSPレコードを、堀愛用の蓄音機(軽井沢高原文庫所蔵)を用いて再生していただきます。

 軽井沢高原文庫様から蓄音機をお借りしての開催となっております。この場をお借りして厚くお礼を申し上げます。
 この蓄音機は、軽井沢高原文庫様開館当時(1985年)に、堀多恵が同館へ寄贈しました。昨年7月、同館が横浜市立大学と共同で修復し、現在では同館にて、希望者は堀が所蔵していたものと同じSPレコード(バッハ「ブランデンブルグ協奏曲」)の音色を聞くことができます(お問い合わせは軽井沢高原文庫様にお願いいたします)。 

 本講演は長らく延期となっておりましたが、この度ようやく皆さまに、堀が耳にしていた音色をお聞かせできることになり、当館一同も楽しみにしております。

 

 さて、本年は萩原朔太郎没後80年に当たります。それに伴い、今年は前橋文学館が中心となり「萩原朔太郎大全2022」が開催されます。これは、全国の萩原朔太郎ゆかりの文学館、美術館などが、朔太郎に関する展覧会を同時期に開催する企画となっております。
 当館も本企画に参加しており、7月14日より12月27日まで、特別企画展「萩原朔太郎と堀辰雄」を開催します。本展に関しましては、現在準備中につき、詳細は今しばらくお待ちください。

 

 

O(オー)村だより 令和4年4月号

 新年度が始まり、軽井沢も段々と春めいてまいりました。堀辰雄旧宅脇の梅も開花し、窓枠に花びらが落ちておりました。

 4月は始まりの時期ではありますが、この月は、堀辰雄が友人の中野重治、窪川鶴次郎らと共に、同人雑誌「驢馬」を創刊した月でもあります。この雑誌は大正15年に始まり、昭和3年5月の第12号まで続きました。堀は詩の翻訳などを載せておりました。

 創刊号に堀は、彼が訳した翻訳詩8篇を「杖のさき」と題し掲載しました。
 今回は、その中のひとつ、アポリネエルの翻訳詩の一篇をご紹介します。

 

 「風景」

 

ここに星や神さまがお生まれなさった家があります

 

実をむすぶばかりになった、この木は、お前によく似ている

 

火のついた葉巻が一本けぶっている

 

恋人どもはいっしょに寝る
それなのにお前たちは離ればなれだね
僕の手足よ


 アポリネエル『カリグラム』からの翻訳になりますが、原文は言葉で絵を描いたようなものになっており、翻訳の難しさが察せられます。

 

 ところで、堀はアポリネエルの「風景」とはまた別に、自身でも「風景」という作品を同時期に執筆していました。

 

 しばらくその汽船に子供のように見とれていると、僕の眼にはひとりで空の一部分がはいってきたのである。それは硝子の破片(かけら)のように光って見えた。小さな真白な雲が、たくさん、汽船のマストを中心にして塊まり合っている。その中でゆるやかに動きつつあるものは、いずれも魚に似た形をしている。中にはクラゲのようなものもある。またじっと動かずにいるものは、僕に、きれいな貝殻を思い出させた。それはまるで海の中がそっくりそのまま空に反射しているようなのである。いままで僕は遠くの方に対岸のようなものを認め、そしてそこに数個の骰子(さいころ)のような洋館が塊っているように思っていたが、それは見る見るうちに船のマストの方へ昇っていった。それもまた雲だった。……

 

 このように、雲の描き方が大変幻想的な作品になっています。よろしければぜひ全文をお読みになってみてくださいね。

 

※アポリネエル「風景」(堀辰雄訳)
 本文引用は『堀辰雄全集第五巻』(昭和53年 筑摩書房)に拠った。画像は同書(p.542)掲載のもの。
※堀辰雄「風景」(大正15年3月)
 本文引用は『堀辰雄全集第一巻』(昭和52年 筑摩書房)に拠った。

 

 なお、表記は新字体、新仮名づかいに改めた。()内のふりがなは原文ではルビが振られている。

【会期終了】春の企画展

                                               

                                                   春期企画展

                            堀多恵のまなざし

                            —堀辰雄と文学者たち 師事・交友をめぐる—

 

                               昭和12年 堀辰雄と多恵 追分測候所裏にて

 

  

    堀辰雄は、学生時代に生涯の親友・神西清と出会い、詩集『青猫』(萩原朔太郎著)を耽読  

  し、文学の世界へと導かれていきました。

  大正12(1923)年、堀辰雄は、室生犀星に誘われて初めて軽井沢に訪れます。この地に

    魅了された堀辰雄は、以後毎夏のように軽井沢を訪れ、文学者たちと交流を深めました。

 

    父親のような愛情で堀辰雄を見守り続けた室生犀星、堀辰雄が師と仰ぎ影響を受けた芥

    川龍之介、病弱な堀に励ましの手紙を数多く送った友人たち……堀辰雄は生涯を通して    

    様々な文学者に支えられました。

 

    本展では、堀辰雄が師事し影響を受けた作家を中心に、堀辰雄の妻・多恵の回想ととも 

    に、書簡や資料をひもとくことで、堀辰雄と文学者たちの温かな交流をめぐります。

 

 

   会期:2022年3月17日(木)~7月12日(火) 

   会場:堀辰雄文学記念館

   開館時間:9時~17時(最終入館16時30分)

   入館料:大人400円、小中高生200円

   休館日:水曜日(祝日は開館)

   ※入館券は追分宿郷土館と共通です。

   ※新型コロナウイルス感染症の状況によっては、会期変更となる場合があります。

 

 

       ■チラシexhibition(PDF/352KB)

    なお、チラシ掲載写真を無断で複製・転用することはできません。

 

 

 

     【問い合わせ】堀辰雄文学記念館 TEL 0267-45-2050

 

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 生涯学習課 堀辰雄文学記念館
電話番号:0267-45-2050
電子メール:horikinen(アット)town.karuizawa.nagano.jp
備考:メール送信時はE-mailアドレスの(アット)を半角@に変換してから送信下さい。