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Welcom to Town of Karuizawa

歴史民俗資料館だより【令和5(2023)年度】  

2024年2月19日 更新

2024年2月ー如月ー

【常設展示のご案内】ー民具室「下駄スケート」ー

 

 厳しい寒さのなかにも、人びとは「あそび」を見いだします。

 そのひとつに「下駄スケート」がありました。とくに軽井沢では、子どもたちの間でさかんに行われてきました。なぜ、そのように軽井沢の人びとにとって身近な「あそび」「スポーツ」となったのか。その歴史をふり返っていきたいと思います。

 

      

  (写真:2024年2月7日歴史民俗資料館職員撮影「真田紐付 下駄スケート」)

 

  スケートが本格的に移入される前の軽井沢では、「ゲロリ」*といって「下駄や足駄にカスガイ*を打ちつけたものや、「竹スベリ」と称して竹で子供たちが氷上を滑って、遊んでいたようです。展示品のように下駄の底にブレード(鉄製刃)を付け、紐を足首に巻いて固定するような形態の前から、氷の上を滑る方法がさまざまに考えられていたことがわかります。

 「下駄スケート」は、長野県諏訪地方で考案され、各地に広まったとされています。革製のスケート靴が高価だった時代に、入手しやすい下駄スケートが登場したことによって、各地にスケート文化が広まりました。軽井沢でも、明治42(1919)年の夏ころ、新軽井沢の鍛冶屋で諏訪式の鉄製のエッジが作り出されました。

 軽井沢における下駄スケートの歴史をひも解いていくことで、欧米から入ってきた「スケート」文化が普及していくまでの過渡期であったこと、諏訪地方、佐久地方との文化的なつながりもまた見えてきます。

 

 *「下駄スケート」のことを「ゲロリ」「諏訪式」などと呼称することもあった

 *「カスガイ」とは、両端の曲がったコの字型の大きい釘(くぎ)のこと

 

 参考文献

 〇『軽井沢町誌 歴史編(近・現代)』(1988年)219-221頁

 

 歴史民俗資料館所蔵 「下駄スケート」一覧

 全17足(+片足1点)

 内訳)9足(片足1点)(真田紐付3足)ASAMA式(スピードスケート)

                             意匠登録110631  ほか

      

 展示では、大正期~昭和20年代のものまでおもに軽井沢で使用されてきた、さまざまなタイプの「下駄スケート」を展示しています。現在、冬期休館中ではございますが、4月2日(火)より通常開館しますので、ぜひ足をお運びいただき、ご覧ください。

 

(学芸員 蒲原)

2024年1月ー睦月ー

 

 この度の「令和6年能登半島地震」におきまして被災された皆様に心よりお見舞い申し上げますともに、被災地の皆様の安全と一日も早い復興をお祈り申し上げます。

 

 歴史民俗資料館では昨年、軽井沢鳥瞰図の絹本と複製品の2点をご寄贈いただきました。

絹本の軽井沢鳥瞰図は剥落の状態から、町内の小、中学校などに飾られている軽井沢鳥瞰図(複製品)の原本の可能性があります。絹本と複製品ともに制作者の吉田初三郎(18841955)の署名と印があります。 

       (軽井沢町歴史民俗資料館 第2展示室・軽井沢鳥瞰図複製品)

 

          (軽井沢鳥瞰図複製品拡大・軽井沢駅など細かく描かれている)

 

 吉田初三郎は、大正2(1913)年作成の鳥瞰図『京阪電車御案内』で皇太子時代の昭和天皇に注目され、生涯で1,600点以上の作品を残しました。

 日本で鳥瞰図が制作された背景には、大正末期から昭和前期にかけての旅行ブームや自治体が観光産業に力を入れたことがあげられます。鳥瞰図は原画を縮小し観光パンフレットとして用いられました。

 長野県内においては、星野温泉鳥瞰図、岡谷市鳥瞰図、長野電鉄沿線温泉名所交通鳥瞰図など多くの要所が描かれました。

 寄贈いただいた軽井沢鳥瞰図の複製品は、今年の冬季休館明けの4月2日から歴史民俗資料館でご覧いただけます。

 

【参考文献】

 軽井沢文化協会2022 『軽井沢140年―軽井沢文化協会創立70年―』軽井沢新聞社

 林 誠2012「吉田初三郎≪長野県之温泉と名勝≫」『長野県立歴史館研究紀要第18号』

 

                           (歴史民俗資料館学芸員 依田)

2023年12月ー師走ー

【冬期休館中のお知らせ】

 歴史民俗資料館は令和5(2023)年11月16日から令和6(2024)年3月31日まで冬期休館いたします。休館中はおもに、展示内容や説明パネルの見直し、収蔵庫整理、館内清掃などをおこないます。多くの方々が当館を活用しやすいと感じていただけるように、来年度4月1日開館に向けて準備を進めてまいりますので、休館へのご理解・ご協力のほどお願いいたします。

 

こどもとつながる歴史民俗資料館をめざして

 子どもたちが展示をじっくりとみて楽しんでもらえるように、そして歴史民俗資料館が学びの場となるように、今年度は独自のワークシートを作成、配布しました。「夏やすみクイズ」・冬期休館中の小学生向け「社会科見学用ワークシート」と期間限定の実施となりましたが、多くの子どもたちに取り組んでいただきました。こうした取り組みが、実際の資料から物事を考える機会となればと思っています。

 

 〇令和5(2023)年度「夏やすみクイズ」PDF版(PDF/126KB)

 〇令和5(2023)年度「社会科見学ワークシート(一部)」PDF版(PDF/886KB)

 

【西部小学校 社会科見学】

 11月17日は西部小学校3年生のみなさんが「軽井沢の歴史を学び、理解を深める」ために社会科見学に来てくださいました。ワークシートに沿って案内をしつつ、実際の縄文土器(茂沢南石堂遺跡)や、民具(火消し壺、蓑)養蚕関係資料(繭玉)などさまざまな資料に触れてもらいました。3年生のみなさんからの積極的な発言、質問に、案内した学芸員もたくさん学びを得ました。これからも歴史民俗資料館をご活用いただけると幸いです。

 

 21

  

 写真1枚目 第1展示室にて学芸員の話を聞く児童の様子

 写真2枚目 第3展示室(民具室)にて

 

(学芸員 蒲原)

2023年11月ー霜月ー

【常設展示の修復について】

 歴史民俗資料館には、約21,000点の収蔵品があります。2階第3展示室には民具を中心に展示しており、養蚕関係の資料があります。

 その中に蔟(まぶし)があります。蔟は、わらで作られていて成長したお蚕さんが繭をつくる場所になります。蔟折り機という専用の機械で農閑期に作られていました。

 わら細工のため、壊れやすいものとなっています。経年劣化がみられるため、冬季休館中に修復をおこなう予定です。

 かつて、養蚕は全国で年間4、5回おこなわれていましたが、軽井沢では気候の関係で夏と秋の年間2回ほどしか養蚕をおこなうことができませんでした。歴史民俗資料館には養蚕に使われた道具は展示されていますが、文字による記録や史料は収蔵されていません。

 現在、町内で養蚕のおもかげを残すのは、家の2階でお蚕さんを飼う蚕室造りの家が数軒見られるだけとなっています。
 

  (歴史民俗資料館 第3展示室・2023年11月10日撮影)

 

 日本において養蚕業が飛躍したのは明治時代からで、明治40(1909)年には日本の生糸が世界市場の約80パーセントを占めていました。

 しかし、昭和4(1929)年の世界恐慌によって養蚕業は打撃を受けました。当時の長野県は養蚕の代わりにリンゴ栽培を奨励し、桑畑からリンゴ園への農産業の転換期となりました。

 また、昭和10(1935)年にアメリカのデュポン社によってナイロンが発明され生糸の需要は減少の一途をたどりました。平成元(1989)年に全国の養蚕農家は約57,000戸ほどありましたが、令和4(2022)年には約160戸となっています。

 

【参考】農林水産省 2023「蚕糸業をめぐる事情」                  

                           (歴史民俗資料館学芸員 依田)

2023年10月ー神無月ー

【常設展示のご案内】

高札(こうさつ)

 高札とは、禁令や法令などを板札に書いて、人びとに周知するよう掲示したものです。おもに宿駅や、町村の往来の激しいところ、人びとが集う場所に建てられました。その起源は古代にまでさかのぼります。そして江戸時代に最も普及し、明治の初めに至るまで人びとに親しまれてきました。

 

 このたび歴史民俗資料館の展示資料である江戸時代、明治時代の高札2点の現代語訳を、深谷大先生(早稲田大学 演劇博物館招聘研究員)監修のもと作成しました。

 今回はそのうち1点をご紹介します。

 こちらは、正徳元年(1711年)に追分宿本陣前に掲げられていたものです。

  この高札は  「親子・博奕・忠孝等定高札」と呼ばれます。親子、親類、奉公人にいたるまで大切にすること、賭博の禁止など。また、人身売買の禁止と奉公人についての取り扱いについて、末尾にはその内容に背いたものは罰せられる旨を奉行より知らせています。

  

 

       

       (第1展示室 高札こうさつ)

 

 下記をクリックしていだけますと原文、現代語訳ご覧いただけます。

 原文(PDF/330KB)

 現代語訳(PDF/291KB)

 

 読解のための古語キーワード

 あはれむ/愛(いつく)しむ・大切にする・同情する

 分限(ぶげん)/身分・分際・身の程

 いつはり/嘘・つくりごと

 季/季節・江戸時代、奉公の期間を表す単位

 譜代(ふだい)/系図・代々仕えるもの・譜代大名の略・世襲的に臣下として仕える

 正徳(しょうとく)/江戸時代1711年~1716年まで

 奉行(ぶぎょう)/上から命を受けて事を執り行う者、役人、武家の職名

 

【報告 秋の文化講座】

 

浅間山演習地化反対運動・再考~70周年にあたっての論点~

 

 日時:令和5(2023)年10月1日(日)13時30分から15時

 参加者:57名

 講師:大串 潤児氏(信州大学 人文学部 教授)

 

 浅間山米軍演習地反対運動から70周年を記念し、10月1日に信州大学人文学部教授で日本現代史ご専門の大串潤児先生を講師に迎え、秋の文化講座を開催いたしました。当日は57名の方がたにご参加いただきました。聴衆された方で「1953(昭和28)年に起きたこの浅間山演習地化反対運動について知る機会が欲しかった」と参加した意図を述べられる方がいました。今回の講座がこの運動について知り・理解する機会となったら幸いです。

 70年前、浅間山の自然、軽井沢の善良な風紀、子どもたちの教育環境など「自分たちの暮らしと自然」を守るために反対運動をおこした人びとがいました。本講座が、そうした人びとの思想や行動を学び、考えるきっかけとなったと感じています。

 歴史民俗資料館では今後も軽井沢町の歴史や文化を知る機会を提供していきます。皆さまぜひご活用ください。

 

    講座の様子

  (写真 講座の様子 右端「浅間山演習地反対プラカード」大日向開拓記念館蔵)

  

    

(写真 会場後方に設置された資料コーナー 軽井沢町連合婦人会が使用していたとおもわれるタスキ。そこには「浅間山演習地化絶対反対」と記されています。)

(学芸員 蒲原)

 

2023年9月ー長月ー

【特別展のご案内】

9月1日(金)より「ポール・ジャクレー展」~軽井沢を愛したフランス人浮世絵師ポール・ジャクレー 木版画展~を開催しています。

 

ジャクレー展チラシ(表)

(ポール・ジャクレー展チラシ)

 

普段と同じ入館料で、常設展と、2つの特別展(ジャクレー展・写真展)が両方ご覧いただけますので、ぜひ足をお運びください!

 

【常設展示資料のご案内】

今月は、ポール・ジャクレー展の開催にちなんで、こちらの資料を紹介します!

 

絵はがき(非水画)

 

…はい、こちらは明治〜昭和にかけて活躍し、日本におけるグラフィックデザインの先駆者の一人とされる、杉浦非水(1876〜1965)がデザインした年賀はがきです。右の2枚など、年号や干支が躍動的で、こんなはがきをお正月にもらったら嬉しくなりますね!非水のほうが、ポール・ジャクレー(1896〜1960)より20歳年上になりますが、同時期に日本で活躍した2人を少し比べてみたいと思います。

 

東京美術学校で日本画を学んでいた非水は、卒業後、同校の教授であったフランス帰りの洋画家・黒田清輝の影響でアール・ヌーヴォー様式の図案に惹かれ、図案家(グラフィックデザイナー)として、同様式のモダンなデザインを発表していきます。

 

それから7年ほど後、黒田清輝は、兼務していた東京高等商業学校(現 一橋大学)でジャクレーの父と同僚であったため、10代前半のジャクレーにデッサン・油絵の指導をします。一方、ちょうどその頃、非水は三越百貨店の専属デザイナーとなります。そして、現在では新版画家としても有名な橋口五葉や、日本画家である吉田秋光らが手掛けたアール・ヌーヴォー風の目新しいポスターに続き、非水自身がデザインした、よりモダンなポスター制作で注目を集めていきます。若いジャクレーが、彼らのデザインを目にする機会もきっとあったことでしょう。

 

また、非水は「非水百花譜(1920‐1922)」という草花の写生図集を、多色摺木版画で出版しています。それまでの欧風のデザインから、日本画的な表現も確立したことを示す作品と言われており、当時の名人と言われた彫師・摺師により仕上げられているそうです。ジャクレーも第二次世界大戦中、草花の水彩スケッチを多数残していますが、これが版画作品にされていれば、「ジャクレー百花譜」が出ていたかも知れません。

 

そして、両者とも、1944年に戦火を逃れて軽井沢に疎開します。非水は中軽井沢、ジャクレーは旧軽井沢で暮らし、前者は戦後しばらくして東京に戻り、多摩美術大学で引き続きデザインの教鞭をとり、後者はそのまま軽井沢に残り、精力的に作品制作を続けました。

 

重なるところもあるようで、全く異なる人生を送った2人の画家の作品を一度に楽しめる、そんな歴史民俗資料館で、ぜひ芸術の秋をお楽しみください!

 

2023年8月ー葉月ー

【村から町へ ~軽井沢町町制施行100周年にあたって】

 1923(大正12)年8月1日に東長倉村から「軽井沢町」へと変わりました。当時、長野県内では、松本、上田の三市を別にすれば、ほかに20を超える町が存在していました。そのほとんどが、交通・商工業の発達を理由に「村」から「町」へと改称しています⑴。

 軽井沢町の前身である東長倉村も、信越線の軽井沢駅・沓掛駅があったことから交通の重要地として、「町」となりました。そのほかにも「欧米各国の発信人より大日本軽井沢町として多数の文信到着の状態」⑵を理由に、県知事に軽井沢町への改称を願い出ます。避暑地という地域の特性を打ち出して、町制施行が図られたことがうかがえます。

 また、町制施行して年の8月17日には、摂政宮が大隈重信別荘に避暑に来ています。この行啓を前に「町」として皇室を迎える準備をしたともいわれています。

 1925(大正14)年7月20日『軽井沢町報』(「軽井沢町立図書館デジタルアーカイブ]

をご覧ください)が創刊されました。あたらしく自治体としてどのように町を発展させていくか。当時の町長・佐藤直吉が不安や期待の言葉を記しています。そうした当時の人びとが抱えていた課題や未来への展望を、今回の特別展示「写真・ハガキで見る軽井沢の歴史~軽井沢の今昔~」から、より身近に感じてもらえる機会となればと思います。

画像出典:『軽井沢町報』創刊号(1924年7月)軽井沢図書館デジタルアーカイブより

参考文献

⑴「第5節 市町村政治とデモクラシー」『長野県史 通史編』第8巻、近代2(1989年)761-763頁

⑵「第4節 大正デモクラシーと自治」『軽井沢町誌 歴史編』近・現代編(1988年)277頁

長野県各地の市町村合併に関しては

『長野県市町村合併誌』(長野県、1965年)が離山図書館にございます。

 

【来館者のこえ】

特別企画展を開催してから1か月ほどが経過しました。この間、来館者へのアンケートを通じて寄せられた声をご紹介していきます。

2023展示風景

写真1枚目:展示風景2023年7月26日職員撮影

 

「写真・ハガキで見る軽井沢の歴史 軽井沢町の今昔」の展示をご覧になって、何かお気づきの点があればご自由にお書きください。(写真や絵はがきに関する思い出等も募集しています)」(7月6日~7月23日集計 回答数11)

 

「分かりやすくまとまってた」(10代/男性/千葉県)

「場所や時代順に展示してあったので分かりやすかった。どこかに現在の地図が貼ってあると比べやすいと思った。ありがとうございました」(40代/女性/町内)

「素晴らしい!古写真や絵ハガキもっと見たいです。」(50代/男性/東京・別荘)

「興味深くみさせてもらいました。今昔となると、現代の写真が全てに比してあると良いなと思いました。」(30代/女性/町内)

「懐かしい風景がたくさんあり楽しませてもらいました。中軽井沢No.72左手に稲が干してありますが、冬になると田んぼに水をはってスケートリンクになっていました。(軽井沢パレススケートリンク)」(60代/女性/佐久市)

などなど

 

 ほかにも様々なお声や、ご意見、展示資料に関する思い出等寄せていただきました。今回は一部の紹介となりましたが、展示終了後には、当館でアンケートを集計し、今後の館の発展のため、そして情報公開のために活かしていきたいと考えています。

 

 

【★夏やすみ 子ども向けクイズ開催のお知らせ★】            

 2023年7月29日(土)~8月31日(木)まで、小・中・高生を対象とした「夏やすみクイズ」を昨年に引き続き開催することとなりました。クイズにご回答いただけた方には、記念品の贈呈もあります。ふるってご参加ください。

 

【秋季特別展開催のお知らせ 9月1日~10月31日】 

「ポール・ジャクレー展」~軽井沢を愛したフランス人浮世絵師ポール・ジャクレー

木版画展~

 生涯のほとんどを日本で過ごしたポール・ジャクレー。その木版画作品の中から20点余りをご紹介いたします。また、今年は彫りと摺りに焦点を当て、版木の展示も予定しておりす。

 

【報告 7月22日開催 文化講座「別荘開発に見る軽井沢の歴史」】

 7月22日神奈川大学特任教授・内田青蔵氏を講師に招き、文化講座「別荘開発に見る軽井沢の歴史」を開催しました。中軽井沢図書館2階多目的室を会場に、延べ39名の方々にご参加いただきました。

講座風景

(写真2枚目 講座の様子 2023年7月22日職員撮影)

 

【これまでの講座と次回の予告】 

 歴史民俗資料館(開館当時は「資料館」)での講座開催の始まりは、1981年にまでさかのぼることができます。当時は、年に2、3回「歴史講座」と「民俗講座」に分かれて開催されていました。近年は。こうした講座が新型コロナウイルス(COVID-19)感染症拡大の影響で、中断されることもありました。しかし、42年間にわたって内外から講師を招き開催されてきた講座は、市民と館をつなぐ貴重な場として存在し続けています。

 今後も講座へのご参加をお待ちしております。

 

【予告】 2023(令和5)年度 秋の文化講座

「浅間山演習地化反対運・再考 70周年にあたっての論点」

日時:2023年10月1日(日) 13時30分~15時

場所:中軽井沢図書館2階多目的室

定員:70名

講師:信州大学教授 大串潤児氏

 

2023年7月号ー文月ー

【特別展のご案内】

7月1日(土)より、町制施行100周年記念特別企画展「写真・ハガキで見る歴史展 軽井沢の今昔」を開催しています。

特別展チラシ_表紙

明治~昭和の写真・絵はがきを、総数約140点というボリュームで展示しています。懐かしい風景や街並みを楽しむとともに、町制施行100周年を迎える記念の年であるからこそ、これまでの町の歩みを振り返り、未来に残していくべき軽井沢の魅力等を思い思いに感じていただく機会となれば幸いです。

普段と同じ入館料で、常設展・特別展が両方ご覧いただけますので、ぜひ足をお運びください!

 

【文化講座のご案内】

7月22日(土)午後1時30分から、「別荘開発に見る軽井沢の歴史」というタイトルで、神奈川大学建築学部の特任教授である内田青藏先生にご講演をいただきます。詳細はこちらの特別展のWEBページの下部に掲載されておりますので、軽井沢の別荘史や、歴史にご興味のある方はぜひご覧ください。

講座の聴講には、事前予約が必要です。

7月1日(土)9時から、歴史民俗資料館にて電話(0267-42-6334)または窓口・メールで受付けを開始しております。電話回線が1本のため、お電話は混み合う可能性があります旨、ご了承ください。メールアドレスをお持ちの方は下記必要事項をご記入の上、メール(shiryoukan(アット)town.karuizawa.nagano.jp)からもお申込みいただけます。

(1)件名「文化講座申込」

(2)参加者氏名

(3)ご住所

(4)電話番号

定員になり次第締め切りとなりますので、お早めにご予約ください。

 

【正宗白鳥碑に関連したご案内】

昨年度、資料館にて特別展を開催させていただいた正宗白鳥氏の文学碑が、5月に雲場池入口の斜め向かいに移設され、5月16日(火)に除幕式が開催されました(その様子は、6月の広報かるいざわでもご覧になれます)。その件について、昨年度も展示でお世話になりました、金沢の徳田秋聲記念館さんがまたまたブログで記事(6月14日付)にしてくださいました!秋聲と白鳥のエピソードについても触れられていたり、白鳥直筆の書簡(封筒)も掲載されていたりと、読み応えのある、とてもおすすめの記事です。雲場池の文学碑見学と併せて、是非ご覧ください。

また、同館で7月7日(金)まで開催されている企画展でも、7月15日(土)から開催される次回の企画展でも、白鳥氏について触れられているそうです。ご興味のある方はそちらもぜひチェックしてみてください!

 

2023年6月号ー水無月ー

【‘23 盆栽講座】

5月13日離山公園内のギャラリー蔵にて「盆栽講座」を実施し、児童7名、保護者8名が参加されました。当館職員の指導のもと、子どもと大人の全員が盆栽を完成させることができました。

 

 

(1枚目 浅間石にハンマーで穴をあける様子、飛び散る石の破片で目が傷まないようにゴーグルをしてもらっています)

(2枚目 石に植物をいれる作業、植物は離山のモミジ、ユキザサ、サクラソウなど多数用意しました)

 

さて、盆栽の起源は1000年~2000年前の中国の「盆山(ぼんさん)」にまでさかのぼることができます。日本には平安時代に伝わったとされ、おもに貴族の間で親しまれてきました。江戸時代には庶民にも浸透し、多くの人びとに楽しまれるようになります。

 

受講されたみなさんによるオリジナルの盆栽が、軽井沢の歴史と自然を、より身近に感じていただけるアイテムとなれば幸いです!

 

(3枚目 資料館職員作成 完成した盆栽イメージ)

 

「盆栽」について探求したいという方へ、おすすめの文献

・大野八生『盆栽えほん』(あすなろ書房、2013)軽井沢町立図書館

・丸島秀夫、南伸坊『盆栽 癒しの小宇宙』(新潮社、2003年)長野市立図書館

・中尾佐助『花と木の文化史』(岩波書店、1986年)軽井沢町立図書館

 

【7月1日~ 特別企画展・展示資料のご紹介】

お知らせ:町制施行100周年記念特別企画展「写真・ハガキで見る歴史展 軽井沢の今昔」会期2023年7月1日~11月15日

 

現在、特別企画展の開催に向けて、資料の収集・調査分析・選定などを行っています。

今回はそのなかで展示として使用する「はがき」から1点をご紹介し、あわせて資料分析の過程をレポートしていきたいと思います。

 

 

(4枚目 絶景峯より見たる浅間山 前島写真館発行 )

(5枚目 4枚目の住所・宛名面「菊切手」、消印(通信日付印)あり・宛先は東京)

 

これは大正?昭和?―はがきの使用年代を読み解く

5枚目の写真左上に押されている消印に「2.5.13」と記されています。

一見すると、昭和2年5月13日のような気もしますし、大正2年5月13日かもしれません。

 

分析❶ はがきの住所・宛名面の形式

はがきは一定の年代で様式が変化します。その「変化」に注目することである程度の印刷年代を絞りこむことができます。

 

「A」1900(明治33)年~1906(明治39)年:「きかは便郵」住所氏名のみ記載

「B」1907(明治40)年~1917(大正6)年:「きかは便郵」下部3分の1に通信文欄

「C」1918(大正7)年~1932(昭和7)年:「きかは便郵」下部2分の1に通信文欄拡大

「D」1933(昭和8)年~1944(昭和19)年:「きがは便郵」はかきが、はきに

「E」1946(昭和21)年:左読み「郵便はがき」に変更される

 

これは通信文欄が3分の1なので「B」タイプ。

1907(明治40)年~1917(大正6)年に印刷されたはがきだといえます。

 

分析❷ 切手の製造年代

菊切手は、1899(明治32)年から1908(明治41)年まで製造されていたので、はがきの印刷年代「B」と期間がほとんど一致します。

しかし、1899(明治32)年~1931(昭和6)年までハガキ1枚「1銭5厘」の郵便料金だったことをふまえると、この菊切手は1931年まで使用可能となります。

これだけでは、1913(大正2)年5月13日、1927(昭和2年5月13日のいずれかを判断することはできません。

 

分析❸ 修学旅行先からの便りをヒントに

4枚目の写真を見ると「修学旅行:長野-木曽-名古屋-静岡 2.5.11-14」という記念スタンプが押されているのがわかります。

このはがきは、5月11日から14日までの3泊4日の修学旅行をしている学生が旅先で出したものだと考えられます。

その時代が昭和となると、わざわざ旅先で、10年以上前の様式のハガキを購入したということになります。しかし、それはまずもって考えられません。また、修学旅行生が明治41年製造終了の菊切手を、旅先で持っていたというのも考えにくいです。

よって、時代の近い1913(大正2)年が妥当といえます。

したがって、現段階では、はがきの使用・差出年月日を1913(大正2)年5月13日のものと判別しました。

 

そこには何が写されているのか?

     わたしたちは絵はがきに何をみることができるのか?

 

なお、「前島写真館」で発行された年代は購入年より前なので、1907(明治40)年~1913(大正2)年の間となります。写真の撮影年代もその頃か、もっと前になるでしょう。

いつ、どこで、だれが風景を写真におさめたのか。

矢ヶ崎方面から撮られたと思われる(1)噴煙をあげる浅間山(2)離山(3)軽井沢新道など写り込んでいる様々な情報を頼りに分析を進めている最中です。

 

6月中は月曜休館日をのぞき、いつでもご来館をお待ちしております。

 

おもな参考文献

関戸明子「第5章 描かれた草津/写された草津/格付けされた草津」『草津温泉の社会史』(青弓社、2018年)軽井沢町立図書館所蔵

岡田芳朗『切手の歴史』(講談社、1976年)軽井沢町立図書館

 

絵はがきを探求されたい方におすすめの文献

富田昭次『絵はがきで見る日本近代』(青弓社、2005年)長野県立図書館

細馬宏通『絵はがきの時代』(青土社、2006年)(新補新版、青土社、2020年)佐久市中央図書館など

 

2023年5月号 ー皐月ー

 

今年の春は暖かかったため、4月の上旬~中旬にかけて離山公園内では、野の草が一気に咲きはじめました!カタクリやスミレ、ネコノメグサなどの可愛い草花が群生している様子を

、足を止めて写真に撮って行かれる方の姿も多く見られました。軽井沢では、まだまだこれからが新緑の季節ですので、ぜひ明るい緑に包まれた園内を散策しながら、資料館にも足を延ばしてみてください!

 

カタクリの花

(4月6日に咲き始めたカタクリの花)

 

【常設展示資料のご案内】

先月の資料館だよりでは、新収蔵資料の古墳時代前期(4C頃)の土器をご紹介しました。そこで、同時期に作られた資料がもう1点所蔵品にございますので、そちらをご紹介したいと思います。その資料とは、こちら…

 

青磁 双耳壺(東晋時代)

 

東晋時代(4C)に中国でつくられた、青磁(透明感のある青緑色の釉薬を施した磁器)です。この資料は、副葬品(身分の高い人物の墓に一緒に埋葬される品)であるため、普段使いの器と比べると、作りがとても良いものになります。

 

県遺跡出土 土師器(壺)

 

一方、こちらが、新収蔵資料の古墳時代前期(4C)の土師器(素焼きの土器。ろくろ・窯を用いないものが多い)です。普段使いの道具なので、先ほどの青磁と比べると、形も歪んでいて、簡素なつくりになっています。よく見ると、壺の首の部分に櫛でつけたような横線の模様が入っています。縄文時代の土器と比べるとかなりシンプルですが、古墳時代の人々も、普段使いの土器にも、模様を付けた方が美しいと感じていたのでしょうか。

 

最後にもう一つ、参考までに、5Cになって朝鮮半島から日本に入ってきた新しい技術で作られた、「須恵器」という器をご紹介します。

 

須恵器

出典:Colbase(https://colbase.nich.go.jp/)

 

こちらは、千葉県木更津市の祇園大塚山古墳から出土した5Cの須恵器です。窯を使って高温で焼くようになり、土師器と比べて固く、色は黒っぽくなっています。こちらは古墳の副葬品であるため、作りの良いものとなります。(土師器は普段使い用、須恵器は儀礼用という風にだんだん使い分けられていったとされます)

 

はじめにご紹介した中国陶磁器は、佐久市の浅間総合病院名誉院長である吉沢國雄氏が、ご尊父吉沢三朗氏のコレクションのうち漢~元代の44点を軽井沢町にご寄贈くださったうちの1点となります。軽井沢町の歴史と併せて中国陶磁器の歴史をたどれる展示室が、資料館1階奥に常設でございますので、ぜひゆっくりとご覧になってみてください!

 

2023年4月号 ー卯月ー

 

令和5年度が始まりました。

歴史民俗資料館は、本日4月1日(土)から開館しております!

離山公園では、3月上旬からふきのとうが芽を出し始め、水仙の花も少しずつ伸びて来て、下旬には白や黄色の可愛い花を咲かせ、アズマイチゲも一緒に咲き始めていました。昨年は、4月の下旬にはカタクリの花が咲き始めていたので、野の花を楽しめる季節がついに到来します!

ようやくこれから春本番、となる公園内の景色を楽しみつつ、この4月から新たに常設展示に加わった資料もございますので、ぜひ資料館まで足をお運びください。

(※7月10日(月)までは、月曜日が休館日です)

 

【新たな常設展示資料のご案内】

生前、長く長野県考古学会の会員で、軽井沢町の文化財専門委員なども務められた、故渡辺重義さんのご遺族から、冬期休業期間中に9点の資料をご寄贈いただきました。ぜひ、多くの町民の方にも見ていただけるように、との想いとともに頂戴した寄贈資料の中から、軽井沢町内から発見されたとされる「縄文時代早期の土器片(土器の破片)」と、「古墳時代前期の壺と甕」を、新たに常設展示資料として展示いたしました。

 

縄文時代早期の土器片県遺跡の壺・甕

 

(1枚目)縄文時代早期の土器片

(2枚目)古墳時代前期の土師器(壺・甕)

 

どちらの時代の資料も、これまでの常設展示にはなかったもので、今から7000年以上昔から、この地域で生活していた人々がいたことや、その後もおそらくは古代の道沿いに人々が家を作って暮らしていたこと等を物語る、大変貴重な資料となります。

 

時代によって、文様のつけかたや器の形も異なっています。このほかの町内出土の土器と見比べるのも面白いです。今後はいつでもご覧いただくことができますので、ぜひ実際に資料を見にいらしてください!

 

※令和5年度4月より、歴史民俗資料館は個人利用目的に限り、常設展示室内の当館所蔵品撮影およびSNS等での発信をしていただけるようになりました(寄託品・借用品・特別展示室展示品は除く)。旅の思い出や、お気に入りの資料を他の方にもシェアしていただけると嬉しいです!

 

※当館では、来館のお客様のマスク着用は任意となっております。また、当面の間、職員はマスク着用にて対応いたします。館内入口には消毒液の用意がありますので、ご自由にお使いください。みなさまのご理解・ご協力をお願いいたします。

 

 

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電話番号:0267-42-6334
電子メール:shiryoukan(アット)town.karuizawa.nagano.jp
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