歴史民俗資料館だより【2024(令和6)年度】   

2024年4月 

■開館(2024(令和6)年4月2日(火)~)のお知らせ

 

 当館は、昨年11月16日より冬期休館しておりましたが4月2日(火)から開館しております。休館日は毎週月曜日です。

 

 さて、当館の展示室に入ってすぐにある真正面の巨大パネルには「道は、時代を無言のうちに物語る…ひんがしの山道(古東山道)・東山道・中山道―」という言葉が掲げられています。当館は「道の文化史」を基本テーマに据えています。縄文時代から近代にいたるまでの道に注目しています。江戸時代の参勤交代や、旅人、行商人など移動する人びとを支えた地域に築かれた独自の文化を、実物資料をもとにさぐることができます。

 

   

    写真:2024年4月撮影「第1展示室入口」編集済

 

■歴史民俗資料館にある石仏

 

 さて、展示室に入ってすぐ目につくのは、左手に丸で囲んであります、石造の角柱「馬頭観音兼道標」と石仏「聖観音/持蓮観音」でしょう。ここに展示される以前は、道沿いにたたずみながら、人びとや馬、動物たちの歩みを見守ってきたと考えられます。これらは、本来ならば建立された場所にあるべきものたちですが、当館で展示されているのはなぜなのでしょうか。

 

       

       写真:2024年4月撮影「歴史民俗資料館に展示されている聖観音」    

 

 1体の仏像をもとに説明していきたいと思います。

 その背景は、1981(昭和56)年11月10日の『信濃毎日新聞』の「高原調」という小さな記事のコーナーに書いてありました。

 

「軽井沢町千ヶ滝の別荘の庭に、新聞紙に包んだ石仏が捨てられているのを管理人が見つけ9日に、町教委に届け出た。

 石仏は縦六十センチ横30センチ 上部とがった石に像が彫られている。帽子をかぶり、ほうきのようなものを背負った姿。腰には紐で縛ったような模様も。

 石仏には製造年月日などが刻まれている例が多いが、文字らしきものは一切無い。~(後略)」

 

 たくさんの石仏がこれまで様々な受難にあってきました。明治の初めの頃に行われた「廃仏毀釈」による破壊行動、戦後に頻発した盗難被害、開発工事や、自然災害などによる影響も深刻です。歴史民俗資料館では、そうした石仏を保護する場所としても機能してきました。

 

        

        写真:2024年4月撮影「聖観音の拓本」

 

 なお、当時の職員が拓本をとるなどして、石仏の出自を解明しようとしましたが、結局判明には至っていません。

 当館では、このほかに10基(体)ほどの石仏が保護、展示されています。石造文化財は、さまざまな人びとの願いが込められています。特に軽井沢町は、古東山道、東山道、中山道のほか入山峠、和見峠、碓氷峠などの峠をかかえていることから、石造文化財が数多く存在する地域です。当館で「道の文化史」について学んだのち、ぜひ散策しながら石造文化財を見つけてみてください。

(歴史民俗資料館 学芸員蒲原)

  

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