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Welcom to Town of Karuizawa

八田別荘

2024年3月6日 更新

 

  八田別荘は、明治26年(1893)に八田裕二郎氏によって建てられた、軽井沢における日本人初の別荘です。100年以上経った今でも建築当時の姿で保存されており、「別荘地 軽井沢」を語る上で、とても重要な歴史的建築物です。

 

  裕二郎氏は旧海軍大佐であり、群馬県の霧積温泉へ療養に来た際に、峠を越えた軽井沢を訪れ、高原の気候を楽しみました。また、海外生活が長く語学が堪能であったため、英国人たちと話が出来る軽井沢を気に入り、土地を購入します。その後、明治26年(1893)に建てた木造2階建の建物が、八田別荘です。

 最初に購入した時の土地は現在よりも西側に広がっており、軽井沢本通りに面していたため、現在の敷地に対して正面の向きが変則的な配置となっています。

 

 電気、水道共に創建時には引かれておらず、水は建物北東部に井戸を掘って使っていたようで、井戸の跡は現在も見ることができます。また、電気はランプを使い、夜出かけるときには提灯を下げて灯りとしていたそうです。「八田」と記された提灯は「こんばんは提灯」と呼ばれていました。軽井沢に配電されるようになったのは大正3年(1914)で、八田別荘は昭和の始め頃にランプから電灯に換わりました。

 

 建物西側にはお地蔵様が据えられていますが、これは明治43年(1910)の大洪水の時、上流から流れてきたもので、流れ着いた場所を安住の地とするべきとの助言を受けて、庭に安置されています。

 

 八田裕二郎氏は別荘を建てた後、日本人に夏の転地療養に高原の軽井沢へ別荘を建てることを勧めました。そうして軽井沢が避暑地へと開けて行くに伴い、夏期滞在者にとって相互の連絡、交流、救護、自衛及び交渉のための組織が必要になり、外国人避暑客の間に公益委員会という組織が作られます。さらに、公益委員会を恒久的な団体にしようという動きから、内務大臣から財団法人設立の許可を得て、大正5年(1916)12月1日に軽井沢会の前身である軽井沢避暑団が設立されました。

 裕二郎氏は軽井沢避暑団設立当時の理事を務め、世話役の一人となっています。また福井県にて衆議院議員総選挙に当選し、東京福井県人会の第2代会長も務めました。自宅は東京都小石川に在りましたが、軽井沢避暑団の仕事にも従事し、終生軽井沢のために尽力されました。

 

 八田別荘は裕二郎氏の没後、3代にわたり120年以上受け継がれてきましたが、平成26年度に保存のため、軽井沢町へ建物を寄贈、用地を売却していただき、現在は町が保管しています。

 今後、建物の活用検討と併せ、保存修理工事を行う予定です。

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