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平成30年1月1日 第666号

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都市の盛衰

「パリ、横浜、軽井沢」

 

パリ、横浜といえば、誰もが

知っている都市かと思います。

都市の成り立ちや規模は異なり

が、

に、

し、比較し、今後の課題を考え

たいと思います。

パリは

 

今日のパリ市街は

19世紀に皇

帝ナポレオン三世が、セーヌ県

知事のジョルジュ・オスマンに

任せて造りました。とても魅力

的な街並みとなっています。凱

旋門、シャンゼリゼ通り、セー

ヌ川など訪れる人々を魅了して

止みません。花の都・芸術の都

パリは、世界中の画家やデザイ

ナーなど芸術に携わる人々を惹

きつけ、たくさんの創造を生み

だしました。日本からも画家の

治、

ションデザイナーの三宅一生や

コシノジュンコなど、数えきれ

ないほどの人たちがパリを舞台

に活躍しました。

横浜は

 

次に横浜です。横浜は日本を

代表する港町として多くの船を

迎え入れて、人、モノ、情報が

伝わる、日本の玄関口でした。

神戸や長崎とともに日本に文明

す。
「鉄道」

、「電話」

、「写真」

、「日

刊新聞」など多くのものが、横

浜を発祥の地としています。当

然の結果として、そこには都市

の繁栄がもたらされました。

軽井沢は

 

そして軽井沢です。明治中期

に外国人宣教師に見出されて、

今日まで発展を続けています。

飛行機のない時代には、西洋人

(主に宣教師)の夏のバカンス

は時間的に船で本国に戻れませ

ん。そこで、涼しい軽井沢が夏

た。夏には1000人からの西

洋人が集まり、軽井沢はさなが

ら日本の中の西洋でした。一つ

の証に、横浜山手の外国人墓地

には、軽井沢で馴染みのたくさ

んの宣教師が眠っています。こ

うして別荘避暑地軽井沢がつく

られました。

時代は移り変わる

 

私は、この三都市はすべて歴

史の必然で誕生したと捉えてい

ます。必然とは、時代、地勢、

人などが密接に絡み合い、大地

から水が湧き出すごとく自然に

す。都市として大変に幸運な歴

しょうか。しかしながら、都市

の繁栄は永遠に続くものではあ

りません。時代は常に変容し、

同様に都市も変化が求められて

いるのです。過去の栄光におぼ

れて努力を惜しめば衰退が待っ

ているだけです。

変化から再生へ

 

数十年前、パリは観光客数こ

そ世界のトップで金は落ちまし

たが、文化創造都市としての発

信力が弱まり、その座はミラノ

やニューヨーク、東京等に取っ

て代られつつありました。危機

感を持ったフランス政府は、新

しい創造都市を再び、というこ

とで、パリの大改造(パリ・グ

ラン・プロジェ)に着手したも

のと考えます。ミッテランから

し、

ルーブル美術館の大改造やオル

セー美術館、新凱旋門等々、大

プロジェクトがパリで繰り広げ

られました。そして、再び世界

の人々の注目するところとなっ

ています。

 

横浜もしかりです。海(船)

から空(飛行機)へと時代の変

化を迎えると、日本の玄関口は

空港に代わり、横浜は変化への

対応に迫られました。そこで市

では、横浜の未来を1980年

た。

21」

プロジェクトです。造船所等が

あった地区を再開発し、ランド

マークタワーや国際会議場、ま

し、多くの人々の集まる交流の

場に変身させました。そこでは

多種の国際会議等が開催され、

集まる多くの人々によって賑わ

いを見せています。同時に、港

町の歴史保全にも努めて、横浜

は魅力ある都市に変貌を遂げて

います。人口では大阪を抜き、

東京に次ぐ第二の都市となりま

した。

リゾート会議都市として

 

同様に軽井沢も留まっている

わけにはいきません。その展開

の一つが「リゾート会議都市」

の推進です。単に会議を開催す

るのみならず、会議開催が軽井

沢ブランドの推進や国内外への

知名度の拡充、人と人の出会い

から創出される新しい事物、そ

して経済効果など多くの可能性

す。

て、世界にとって有用な会議が

軽井沢で開催される、そんな展

す。一昨年のG7交通大臣会合

を皮切りに、これからもたくさ

んの会議を誘致し、軽井沢の未

来を切り開いてゆければと思い

ます。