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Welcom to Town of Karuizawa

都市の盛衰「パリ、横浜、軽井沢」(平成30年1月1日)

2018年1月1日 登録

 パリ、横浜といえば、誰もが知っている都市かと思います。都市の成り立ちや規模は異なりますが、私はそのパリと横浜に、軽井沢との共通性を見出し、比較し、今後の課題を考えたいと思います。

パリは

 今日のパリ市街は19世紀に皇帝ナポレオン三世が、セーヌ県知事のジョルジュ・オスマンに任せて造りました。とても魅力的な街並みとなっています。凱旋門、シャンゼリゼ通り、セーヌ川など訪れる人々を魅了して止みません。花の都・芸術の都パリは、世界中の画家やデザイナーなど芸術に携わる人々を惹きつけ、たくさんの創造を生みだしました。日本からも画家の佐伯祐三や藤田嗣治、ファッションデザイナーの三宅一生やコシノジュンコなど、数えきれないほどの人たちがパリを舞台に活躍しました。

横浜は

 次に横浜です。横浜は日本を代表する港町として多くの船を迎え入れて、人、モノ、情報が伝わる、日本の玄関口でした。神戸や長崎とともに日本に文明をもたらす玄関口だったのです。「鉄道」、「電話」、「写真」、「日刊新聞」など多くのものが、横浜を発祥の地としています。当然の結果として、そこには都市の繁栄がもたらされました。

軽井沢は

 そして軽井沢です。明治中期に外国人宣教師に見出されて、今日まで発展を続けています。飛行機のない時代には、西洋人(主に宣教師)の夏のバカンスは時間的に船で本国に戻れません。そこで、涼しい軽井沢が夏期滞在の地として選ばれました。夏には1000人からの西洋人が集まり、軽井沢はさながら日本の中の西洋でした。一つの証に、横浜山手の外国人墓地には、軽井沢で馴染みのたくさんの宣教師が眠っています。こうして別荘避暑地軽井沢がつくられました。

時代は移り変わる

 私は、この三都市はすべて歴史の必然で誕生したと捉えています。必然とは、時代、地勢、人などが密接に絡み合い、大地から水が湧き出すごとく自然に形成されてきたように思います。都市として大変に幸運な歴史を刻んできたのではないでしょうか。しかしながら、都市の繁栄は永遠に続くものではありません。時代は常に変容し、同様に都市も変化が求められているのです。過去の栄光におぼれて努力を惜しめば衰退が待っているだけです。

変化から再生へ

 数十年前、パリは観光客数こそ世界のトップで金は落ちましたが、文化創造都市としての発信力が弱まり、その座はミラノやニューヨーク、東京等に取って代わられつつありました。危機感を持ったフランス政府は、新しい創造都市を再び、ということで、パリの大改造(パリ・グラン・プロジェ)に着手したものと考えます。ミッテランから始まり歴代大統領が推進し、ルーブル美術館の大改造やオルセー美術館、新凱旋門等々、大プロジェクトがパリで繰り広げられました。そして、再び世界の人々の注目するところとなっています。

 横浜もしかりです。海(船)から空(飛行機)へと時代の変化を迎えると、日本の玄関口は空港に代わり、横浜は変化への対応に迫られました。そこで市では、横浜の未来を1980年代から始める再開発に託しました。「横浜みなとみらい21」プロジェクトです。造船所等があった地区を再開発し、ランドマークタワーや国際会議場、また美術館やホテルなどを建設し、多くの人々の集まる交流の場に変身させました。そこでは多種の国際会議等が開催され、集まる多くの人々によって賑わいを見せています。同時に、港町の歴史保全にも努めて、横浜は魅力ある都市に変貌を遂げています。人口では大阪を抜き、東京に次ぐ第二の都市となりました。

リゾート会議都市として

 同様に軽井沢も留まっているわけにはいきません。その展開の一つが「リゾート会議都市」の推進です。単に会議を開催するのみならず、会議開催が軽井沢ブランドの推進や国内外への知名度の拡充、人と人の出会いから創出される新しい事物、そして経済効果など多くの可能性を秘めています。日本にとって、世界にとって有用な会議が軽井沢で開催される、そんな展開がすでに始まっているのです。一昨年のG7交通大臣会合を皮切りに、これからもたくさんの会議を誘致し、軽井沢の未来を切り開いてゆければと思います。

 

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